第6話

梅雨も近づく6月頭。山も野原も青葉が繁る(都内なのでそんなに山も野原もないのだが)この季節は、諸々のヤバい奴らの活動も活発化する。一方我々はといえば、ただでさえ面倒な実調に熱中症のリスクがついて回るようになるので、この季節は出来ることならエアコンの効いた庁舎内でビールを飲みながらテレビでも観ていたい、というのが偽らざる本音だったりする。

「さあお待ちかね朝会のお時間がやって参りました。まずはメンバーのご挨拶からどうぞ」

私も暑さで気が触れたのか、若干挨拶のテンションがおかしい。しかしあまりにも暑いので皆たいして反応してくれていない。坂上は酒ではなくスポーツドリンクをガブ飲みしている。宮前さんは棒付きアイスをしゃぶっている。

「天災と実調は忘れた頃にやって来る。というわけで今日は実調です。坂上くん熊谷さん宮前さん、善福寺公園に行っていただきます」

「今回の調査対象は?」頭に冷えピタを貼った熊谷さんが聞いてくる。

「今日の調査対象は妖怪魚籠地禄(びくちろく)です」

「なんだか強そうな名前ですわね。結構危険な奴なのでしょうか?」緊張の面持ちで身構える熊谷さん。

「いや~その何と言いましょうか、危険といえば危険かもしれません。女性の乳首を真っ黒にしてしまう妖怪ですね」

こう答える時、正直に言って私は笑うのを必死に我慢している。

「「「は?」」」その場にいた全員がキョトンとしている。そりゃそうだ。

「お断りしますわ!そんなお下劣な…」

熊谷さんが珍しく声を荒げる。真っ黒乳首にはなりたくない気持ちを考えればそれも当然だろう。宮前さんもイヤそうな顔をしている。

「安心してください。基本的に魚籠地禄は大人しい妖怪です。それとスポーツブラを着けていけば大丈夫ですから」

「スポーツブラ?」意外そうな顔をしたのは宮前さんだ。

「ええ。何故だか、どういうわけだか、魚籠地禄はスポーツブラ越しにだけは乳首を認識できないそうです。そんなわけで皆さんお願いします。何かあったら連絡してください。新城係長が救援に向かえるようにしておきますので」

第2係の係長を務める新城は20代後半の魔法使いで、新宿支署唯一の女性係長である。昨年までは第2係長は神楽坂であったが、彼は異動により本庁に引き抜かれている。実のところ、昨年から留任している係長級は統括の私と、第1係長の豊之内だけである。第3係長だった上村は世田谷支署に異動し、後任には立川支署から異動してきた秋山係長が就いている。第4係長は定年退職し、後任不在のまま洲本さんが係長代行となっている。

善福寺公園は杉並の北西部、練馬との境界近くに位置する。神田川の水系である善福寺川の水源池があり、夏は豊かな緑と美しい池のコントラストが楽しめる公園である。近隣には雑木林も多い。

「暑い…もうヤダ…帰りたい…アイス食べたい」などと小言をこぼしながら歩いているのは宮前さんである。インドア派の彼女には6月の東京は暑すぎるようだ。

「もう、私だって耐えてるのに文句ばかりたれないで…」不満そうな熊谷さん。

と、その時坂上が何かを発見した。

「宮前さん熊谷さん、いましたよビーチクロク…じゃなかった魚籠地禄」

「さっさと捕まえて喫茶店にでも入りましょう?」

言うが早いか刀を抜く熊谷さん。呪文をささっと唱えて魔法を放つが、何故か魚籠地禄の横を掠めるばかりで命中しない。

「熊谷さん?何してるんですかマズイですよ!」叫ぶ坂上。

「ごめんなさい…暑さで眩暈が…照準が定まりませんわ…」

女の子は直射日光に弱い。

「しょうがないから私が拘束魔法で」ようやく仕事モードになる宮前さんだったが、

「あっつ!モバイル端末が熱くて持てませんわ」

機械も直射日光に弱い。

「しょうがねえなあ…じゃあ俺がやってやるか。覚悟しろクロビーチク!じゃなかった魚籠地禄!」

言うと坂上はサカヅキの姿に変身…するでもなく善福寺公園の池に飛び込むと、法螺貝の音撃管に水を入れて暑さでフラフラの二人に思いっきり噴き付けた。

「坂上くんありがとうございます」

ようやく熱波から解放された熊谷さんの冷温魔法が魚籠地禄に命中する。その横では宮前さんが、水没して機能を喪失したモバイル端末を手に悲嘆にくれている。かくして動きを止められた魚籠地禄は麻袋に入れられ、新宿支署へ運ばれることとなった。

「もう!危うく熱中症で黒乳首どころか黒焦げになるところでしたわ!統括係長さん責任を取ってください」

熊谷さんの猛抗議により、私は3人にアイスを奢るハメになってしまった。女性は甘いものは別腹とはよく言ったものだが、熊谷さんも宮前さんも細身の身体のどこにそんなに入るのか、というくらいアイスをもりもり食べている。坂上はウイスキーの上にアイスクリームを浮かべて飲んでいた。

「所であの黒乳首…じゃなかった魚籠地禄はどうするんですか?殺すわけじゃないんですよね?」坂上が問う。

「ええ、アレは米長コマンダーが黒ギャル村に連れていきました。巷じゃ黒乳首は不人気ですが黒ギャル村では一定の需要があるので、魚籠地禄はとても大切にされいてるんですよ」

「黒ギャル村って…」

呆れながらも、私の金で購入した(ここ重要)アイスクリームを浮かべたウイスキーを啜る坂上であった。

(続く)