第41話

新宿支署チームの威信をかけた技能選手権は、宮前さんの機転と熊谷さんの正確な魔法制御、白崎さんのスタミナもあって無事優勝することができた。今回のレギュレーションでは標的が絶縁シートを被ったドローンであり、宮前さんの電撃で撃ち落すという基本的な攻め手を封じられたこともあって苦戦が予想されたが、熊谷さんが雹を当ててドローンを落とし、白崎さんが絶縁シートと機体の隙間に根気よく苔を植え込み、隙間に宮前さんが電流を流し込むという極めて地道な戦術でスコアを伸ばしていった。

宮前さん妹率いる魔法学校選抜は全体で6位。学生としては健闘した方だろう。私の昔の教え子たちも今回のレギュレーションに適応しきれず、鷺沢さんのチームの4位が最高だった。三船さんと高垣さんが審判員として来ていたので、私は試合の終了後は優勝した熊谷さん達を労う前に彼女たちと飲みに行ってしまい、翌日は3人から冷たい視線を浴びせられた。

さて来年度の人事が固まりつつあった所に突然本部から辞令が飛んできた。秋山係長を近畿方面本部(今年から関西方面本部が近畿方面本部と京都本部に分割された)に異動させる、というものだ。来年度から統括係長職を秋山係長に任せるつもりだったので、これには参った。

序列で言えば、統括係長になるのは豊之内係長か。彼は現場に投入されて真価を発揮するタイプなので、デスクワーク中心の統括職にするのは不安である。まあ神楽坂が副署長として来るので、事務関係は彼に任せるとしよう。

考え事をしながら1階へ行くと、年度末が近いので臨時の窓口が開いている。各種の資格証明の更新や亜人の異動届け出を受け付けるための窓口である。窓口は委託職員さんたちが出てくれているので、私達は奥で書類をチェックするだけである。

書類のチェックの仕事を終えて2階のデスクに戻ると、FAXで来た書類が机上に置かれていた。氷柱が刺さった状態で。

「熊谷さんまだ怒ってるんですかね…」

ぼやきながらFAXに目を通していく。広域業務の依頼であった。新宿支署の管区外の案件でも、そこの管轄支署に適切な職員がいなかったり、他の支署に同種の事件の経験者がいる場合に応援を要請するものである。今回の事件の場所は埼玉県・秩父山地のとある山であった。

「全身毛だらけの化け物ねえ。ハゲのおっさんが聞いたら嫉妬で狂いそうな奴だな」

依頼の内容を聞いた豊之内の感想がそれであった。

「科特庁の記録で調べた感じだとノヅチかシシノケでしょう。北陸を中心に西日本ではポピュラーな妖怪ですが関東では目撃例はありませんね」

いづれの妖怪も毛むくじゃらのイモムシというかナメクジのような姿をしている。一説には昔、間引きによって生を全うすることを許されなかった者達の怨念が寄り集まって生まれたとされ、別の説では間引かれた奇形の子どもと山の神の間にできたものとされている。いずれにせよ、まともなものではない。

「じゃあ私も行きます。妖怪の類に対しては嗅覚が利きますから」

名乗り出る葵ちゃん。私としては危険なので連れて行きたくないが、そういうわけにもいかない。

「わかりました。ただし山に入ったら車から降りないように」

秋山係長の運転する車で山中に入ると、昼間だというのにヘッドライトなしでは視界が利かないほど薄暗かった。葵ちゃんの指示する方向へ車を進めていくと、赤ん坊の泣き声のような不気味な音声が聞こえてきた。私の右袖を強く握りしめる葵ちゃん。

「どうやらお出ましのようだな」

豊之内はいつもの調子からは考えられないほど真剣な表情になっている。秋山係長も運転席の脇に置いてあるバットのような得物のグリップを握りやすい位置に動かす。私も長杖―ここに来る前に一日中日干しにしていた物をいつでも取り出せる位置に持ってきておいた。

暗闇の中から姿を見せたのは、全長2メートル程度のヘビのような物体だった。目はなく耳もなく口だけがあり、全身をヤマアラシのように硬い針で覆われた異様な生物。私も実物を見たのは初めてだが、記録にあったシシノケと見て間違いないだろう。甲高い赤子の悲鳴のような鳴き声が暗い山中の空気を切り裂く。

「負の魔力が濃いな、山の神様って感じはしねえぜ」

シシノケを一瞥した豊之内が呟く。豊之内と秋山、そしてさっきまで車内で爆睡していた坂上が車外に降り立つ。私も車外に出て応戦したいが、葵ちゃんを1人にすることの危険性を考えて車内に残った。私が車内で杖を軽く一振りすると、青白い光の球が周囲へ飛び散り、半径10メートル前後―木々に囲まれていてさほど広範囲ではないが―を照らし出した。

シシノケが転がりだした。豊之内(既に闘鬼へ変身している)へむかって加速しながら転がっていく。すんでの所で飛びのいて躱す闘鬼。さっきまで闘鬼が背にしていた岩は、シシノケに衝突され綺麗に圧し潰されていた。もしこれが私のいる車の方に転がってきたら…。

私の心を読んだのか、唐突に方向を変え車の方へ向かってくるシシノケ。だが横っ腹に坂上=盃鬼の青紫の炎をまともに浴び、ひとたまりもなく跳び上がった。

戦鬼(オニ)の成り立ちは相撲の力士に似ている。元々は通常の人間である者が過酷な鍛錬と修業とを積み重ね、神に通じる力を手に入れるというプロセスは両者に共通である。現代では相撲は興行の色が濃く、力士に神通力があるかはわからない。ただ明治期の大横綱である梅ケ谷などは病人の枕元で四股を踏んだらその人の病気が治ったとの伝説があり、少なくとも昔は力士と戦鬼は近しい存在であったことが伺える。

跳び上がって体勢を立て直さんとするシシノケ。だがその着地点は既に闘鬼に読まれていた。着地の瞬間に音撃棒による強烈な一撃を食らい、シシノケは薄気味の悪い甲高い鳴き声を上げた。周辺に飛び散ったシシノケの針が、闘鬼の一撃の破壊力を雄弁に物語っていた。

躊躇を見せることなくシシノケを殴打する闘鬼。その清めの打撃が振り下ろされる度に、周囲の重苦しい空気が溶けて消えてゆく。時間にすれば一瞬の出来事であったが、見ている私達にはとても長く感じられた。闘鬼の手が止まった時には、シシノケは息絶えて(怪異の類に元から命があるのかどうかも怪しいが)動かなくなっていた。さっきまで不気味な暗闇だった森の中は、清浄な静けさを取り戻していた。

一同が帰ろうと車に乗り込もうとした時、藪の中から何かが飛び出してきた。身構える私達。だがその正体に気づくのに要した時間はせいぜい1秒程度であった。

「あ、島さんにトウキさん。サカヅキくんも」

現れたのは江戸川支署の所長補佐、秋吉統括係長=暁鬼であった。どうやら彼にも広域依頼が来ていたようだ。闘鬼が東の正横綱なら暁鬼は西の正横綱である。

「ちょうどいいや。実は電車とタクシーで乗り継いで来て山の中を歩き回って、シシノケを山の反対側で仕留めてきたんでね。途中の川越の駅あたりまで車に便乗さしてくださいよ」

かくして新宿支署から派遣された私達5人は、車に思いがけない客を乗せて帰路についたのであった。葵ちゃんは緊張が解けたからかすっかり熟睡していた。戻ったら熊谷さんの機嫌が直っているといいな、などと思いながら私は埼玉の、かつての武蔵国の平野の果てを眺めていた。

つづく