場外戦とも二次創作ともつかない謎の話

これから書くヤツは弊ブログでいつも書いてる謎の創作文書の昔的な話なんですが、都合により一部の登場人物の名前をアイ○ルマス○ーシンデ○ラガー○ズから流用していますので、書く前に謝っておきます。名前だけで性格とかまるで原型をとどめていないが許して欲しい。スイマセン許してくださいホント、しまむらくんの貞操あげるんで…

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20世紀から21世紀へ切り替わった直後頃、日本には魔法庁という官庁が存在していた。英国の魔法省に倣って作られた魔法庁では、「英国式の伝統ある魔法が最上の存在で他は邪道」という徹底した差別意識が蔓延していた。英国式魔法の使い手たちは自らを魔法師と称し、時に能力よりも家柄を重視することも少なくなかった。

魔法庁には米国式魔法の修行を積んだ職員も一定数在籍していた。米国式の魔法は、古代ケルト人達の精霊魔法を近代以降に再研究、構築した比較的新しい魔法であり、当然伝統を重んじる英国式魔法の使い手達からは軽んじられていた。他に近代ドイツで成立した魔法工学という研究分野もあったが、日本を含めドイツ以外の国ではあまり研究が進んでいない。

そんな日本の魔法使い業界にも少子化の影響はじわじわと及んできていた。家柄を重視する魔法師達の間ではお見合い結婚が主流であったが、女性の地位向上の影響もあってか出生率の低下が進み、後継者不在で消滅する家系も出てきていた。

魔法師の家に生まれた者が必ず魔法を使えるわけではない。そのため子供が生まれても、魔法力が無いという理由で家から追い出されることも昔は珍しくなかった。子供がたくさんいる時代はそれも通用したが、最近ではそうもいかない。魔法庁ではお偉方、即ち魔法師の名家の当主達が日々頭を悩ませていた。

そんな時、魔法庁内でにわかに持ち上がった計画があった。『魔法少女量産化計画』と呼ばれていたその計画を主導したのは、魔法庁の美城という当時30代前半の女性参事官であった。美城家は魔法師の家柄としてはギリギリ上流、武士で言えば1万石ちょうどの小規模大名と言ったクラスであり、そこから出て30代で参事官になった彼女が有能であったことは間違いない。

計画の概要は「魔法工学の技術を応用し、魔法能力の無い人間に人工的に魔法力の因子を植え付ける」というものであった。被験者候補となったのは、魔法師の家に生まれながら魔法力を持たず、家を追われそうになっていた少女達であった。魔法庁の上層部はこの計画に対し良い顔はしなかったが、背に腹は代えられぬと黙認された。

この計画において、被験者の経過観察と身の回りの世話を任されたのが若手職員の米長主査と高井戸主事だった。二人とも優秀な人材だったが米国式魔法の使い手であったため出世コースからは外れていたのだ。この二人は仕事の合間に母校の魔法研究サークルによく顔を出していた。そのサークルに当時在籍していたのが神楽坂庭夫であり、土方敏乗であり、私だった。

最初に選ばれた被験者は3人だった。三船美優(当時11歳)、川島瑞樹(当時13歳)、そして高垣楓(当時10歳)の3人が、いずれも魔法師の家柄としては中流くらいの家の生まれながら先天的に魔法力を欠いており、家の中に居場所がなかったことから適任者と見做された。

魔法力因子の移植自体はドイツでその手法が確立されており容易だった。高井戸さんは3人の少女に移植の副作用が出ないかを慎重に観察していた。米長さんは魔法の基本的な使い方について教える係であった。3人は学校へ安定して通うことが難しくなったため、私達大学の魔法研究サークルの構成員は彼女たちに勉強を教えるよう、米長さんに頼まれた。

この3人での実験は成功とは言い難かった。魔法師に比べて体内からの魔力供給が安定せず、魔法庁の幹部たちが嫌う米国式魔法との複合でなければ実戦レベルの魔法が撃てなかったのだ。複合魔法は極めて難解な呪文が必要であり、三船さんも川島さんも実戦レベルには到達しなかった。最年少の高垣さんだけは複合魔法を安定して撃てるようになった。その影響で彼女の透き通るような青い目は、片方が翡翠色に変色した。

大規模な計画の割に得られた成果が少なかったため、魔法庁の上層部は早々にこの魔法少女量産化計画を失敗と断じた。その責任を体よく押し付けられた美城参事官は失脚し、民間の魔法工学研究所に天下った。3人の少女も同行した。

その時の魔法庁のやり方に対し米長さんの怒る様子を、私はよく覚えている。思えばあの時に米長さんは魔法庁を破壊することを決意したのかもしれない。彼が魔法庁に辞表を叩き付け科特隊に移ったのはこの数年後のことである。一方の高井戸さんは現状に不満を持ちながらも魔法庁に残り、陰で美城さんの研究所を支援していた。

これらの顛末を米長さんから聞かされた夜、私達は部室でテレビを観ながらだべっていた。当時我々は大学4年生であり、就活の話ばかりしていた。

「島やんは結局魔法庁受けなかったんだっけ。親父さんのコネなかったの?本命は地方公務員?」

神楽坂に聞かれて私は首を縦に振った。

「父は結局係長止まりで定年でしたからねえ。やはり魔法師の名家の生まれでないと。神楽坂君こそ魔法庁受けなかったんですか?エスタブリッシュメント層に近づくチャンスでしょうに」

「バカバカしい、先祖の功績だけでふんぞり返ってる似非エスタブリッシュメント層なんかに興味ないよ。俺は法科大学院に行く。成功は自分の力で掴まないとな」

私は神楽坂の受け答えに苦笑しながらも、実に彼らしいと思った。

美城さんは失脚後も魔法工学による魔法少女の量産化を諦めたわけではなかった。彼女が魔法少女の量産化にこだわった理由を、当初は私も含め大多数の人間が実績作りのためだと思っていたが、彼女の真意は「魔法力を持たないために家族から疎外された少女達の救済」にあったのだ。もし実績作りが目的なら、最初に思わしい成果が出なかった時点で投げ出していただろう。

この4年後、「因子の移植は対象が若いほど成功しやすい」という研究結果に基づき、2度目の実験が行われた。この時対象になったのは荒木比奈(当時9歳)、新田美波鷺沢文香相葉夕美(いずれも当時8歳)、十時愛梨(当時7歳)の5人だった。第1次計画の被験者3人は川島さんと高垣さんがあまりにもマイペースでスタッフ一同手を焼いたが、今回は皆比較的おとなしく実験は楽だったらしい。

苦労したのは、5人とも幼かったため身の回りの世話が大変だった点であろう。幼児は特に体調を崩しやすいので、医療スタッフを揃えるのに美城家の家財をほとんど売り払ったという。なおこの頃私は地方公務員を辞し、科特隊に合流している。当時は私達科特隊もヒマだったので、非番の日には米長さんと共に川島さん達に米国式魔法の使い方を教えていたものである。

この第2次計画で誕生した5人の魔法少女は、魔法庁の魔法師たちと比べても遜色のない能力を会得していた。これに気をよくした美城さんはすぐにでも第3次計画に移りたかったようだが、予想外の成功に驚いた魔法庁によって魔法師の家から被験者を出さないよう圧力がかけられてしまった。

この2度にわたるプロジェクトによって誕生した8人の魔法少女達は、魔法を使う身でありながら魔法庁からは疎んじられていた。心無い魔法師達は彼女らを「出来損ない」「加工品」などと呼んで蔑んだ。当初は無邪気な少女達に勉強を教えるだけだった私達は、いつの間にか傷ついた彼女たちのお悩み相談コーナーと化していた。

またこの頃、三船さんが魔法師の若者に石をぶつけられて怪我をするという事件があった。この一件を機に、私達は本格的に魔法庁の解体、魔法師の特権の剥奪の必要性を痛感した。ホモ卿の叛乱を契機とした魔法庁と科特隊の紛争が始まるのは、このわずか1年後のことである。

つづかない