第37話

年末年始に向けて街の浮かれ具合が加速度的に高くなってゆく季節。浮かれたアホどもに釣られて有象無象の妖怪だの物の怪だのといった連中が街に出没することが多くなるので、私達の職場はこの季節はとても忙しい。街にいるのは化け狸先輩のように酒を飲んで騒ぐだけの善良な妖怪ばかりではないのだ。

そんなわけで私のデスクは報告書で埋め尽くされている。私は書類決裁はかなり速い方であり、平時ならば決裁待ちの書類など一枚も残ないのだが年末だけはそうもいかないのである。既婚の秋山係長は奥さんに頭が上がらないのか、この時期はよく有給を取って家族サービスに精を出している。

気分転換に葵ちゃんの買い物に付き合ってあげた私だったが、帰り道で出くわした浮浪者のオッサンが臭過ぎたのには閉口した。その悪臭をまともに吸ってしまった葵ちゃんは気分が悪くなったらしく、私は荷物持ちどころか葵ちゃんまで背負って帰るはめになった。

姉の茜ちゃん曰く、葵ちゃんは幼少期から狐娘の中でも突出して嗅覚が鋭いらしく、いなり寿司に使う醤油が変わったら一発でわかるという。大した才能だが日常生活では便利とは限らないのである。白崎さんが脱臭用のハーブを持ってきてくれたので、葵ちゃんの枕元に置いておいた。

翌日。本庁から神楽坂が来ていた。来期の組織改正についての話があるのだという。科特庁は発足からまだ10年も経っておらず、組織構成については手探りな部分が多いのである。

「従来通り東京方面本部の下に新宿支署を置く構造は変わらない。米長さんは引き続き7級職にあって署長を務めることになるね」

神楽坂が説明を始めた。7級職、即ち特務課長よりも上には8級職=部長しかない。本部長と傘下の署長が同格ではおかしいので、米長コマンダーの7級職続投はある意味必然ではある。

「で、島やんだけでなくドカタや秋吉からも要望があったんだけど、来年度から副署長を2名配置することになった」

「ああいいっすねえ~」

現行の署長補佐1名体制は明らかに無理がある。私に限らず、北支署の土方も江戸川支署の秋吉もキャパシティの超過をずっと訴えてきた。

「副署長には課長級を以て充てることが決まった。したがって島やんは6級職に昇任ということになるよ。やったね」

と神楽坂。6級職から上の職層には超過勤務手当が付かないので、嬉しいかと言われると微妙なラインではある。

「もう一人の副署長は?」

私は当然そこが気になったので質問してみた。

「俺だよ。せっかく本庁に行ったけど1年で出戻りだ。まあ昇任と引き換えだから悪くはないさ、出世は男の本懐だしな」

と神楽坂。まあ新宿支署の発足当初から、というより科特隊米長班の頃からいたので当然の人選ではある。しかし本庁もよくこの男を手放したものだ。ちなみに新宿以外の支署は大規模な異動が多いらしく、高井戸先輩の率いる世田谷支署には土方・秋吉が新たに課長=副署長として配置されるという。荒川の糞親父が今度は多摩川に現れるということか…その影響で中須田は統括係長に昇任するらしい。

嬉しい情報もあった。門原さんが客員待遇でGユニット研究課に入ることが決まったという。エターナルメモリの情報が欲しい科特庁とユニットのメンテナンス等で協力者を探していた門原さんの思惑が一致したらしい。正式な職員ではなく、あくまで「たまに顔を出す」程度の関係らしいが、門原さんが科特庁の(科特隊時代から続く)流星のバッジを身に着けるのは実に7年ぶりである。

そんなわけで来年度の新宿支署の顔ぶれがある程度見えてきた。署長の米長さんは変わらず。島畑・神楽坂の両課長が副署長。4人の4級職=係長の内、最年長の秋山係長が5級職=統括係長となり3係長を兼任。1係長の豊之内、2係長の新城、4係長の矢吹は留任。

異動者としては洲本さんが陰陽師がどうしても必要だという世田谷支署へ行くことになった。米長さんと高井戸先輩の話し合いで決まったらしい。世田谷支署の管内には怨霊の類が出るエリアが多いらしく、陰陽師の職員で世田谷へ異動出来るのが洲本さんしかいなかったらしかった。洲本さんに抜けられるのは困るが、米長さんが同意した以上は仕方がない。

トレード要員?として世田谷からは藤岡富士夫主事が異動してくることになった。坂上と猛士時代の同期だった彼は、10代目吹雪鬼(フブキ)を襲名した現役の戦鬼である。一つの職場に戦鬼が3名も集まるのは極めて異例であるが、それだけ新宿支署の管内では戦鬼を必要とする案件が多いのである。

一方でホリ隊員は本庁直属になった。G5Xユニットの保守整備を効率化するため、科特庁のG5チームは各方面本部で一括管理することになったのだという。私はその方針自体は正しいとは思うが、新宿支署の貴重な若手男性職員が一人減ってしまうのは地味に困った問題である。まあこればかりは文句を言っても仕方のないことなのだが。

新人3名はそのまま1級職=主事として残留、研修に来ていた学生3名のうち宮前さん妹は卒業に伴い1級職主事として新宿支署の正規職員になる。一之江さんと鹿島さんは引き続き研修生として残ることが決まった。あと(私のゴリ押しで)葵ちゃんを1級職主事として採用することに成功した。茜ちゃんと陽ちゃんについては引き続き事務職員という体で残ることになる。

「ホリ君を持っていくなら男性職員を補充してください。私達と同じウィザードでいい人材を探してもらえると助かります」

私は神楽坂に無理を承知で依頼しておいた。彼が本庁に戻るのを見送って庁舎に戻ってくると、葵ちゃんが熊谷さんの指導を受けていた。彼女の魔法はまだ発芽したばかりである。なんとか来年の4月までには実用レベルまで成長して欲しい。狐娘だってやれば出来るのだ。でも無理はさせたくないという気持ちもある。

私が悩んでもどうにかなるものでもない。とりあえず今は眼前の書類の山を倒さなければならない。熊谷さんが淹れてくれたコーヒーを貰い、私は膨大な数の書類の決裁作業を再開した。

つづく