第35話
今年の東京は秋というものを亡失してしまったらしく、まだ師走の商戦も始まらぬ内に初雪を観測した。朝出勤すると、葵ちゃんがせっせと署内のオフィス機器を立ち上げていた。先日の体調不良の件を私は大いに心配していたが、どうやら葵ちゃんのコンディションはすっかり回復したようだ。
「体調は大丈夫ですか葵ちゃん?」
「はい、おかげさまで」
三角耳をぴょこぴょこと動かしながら答える葵ちゃん。だいぶ表情も明るい。
「あと、簡単な魔法が使えるようになりました。寝込んでる時に発現したみたいです」
葵ちゃんはそう言いながら、私のデスクに置いてあった紙を凍らせてみせた。氷系統の魔法か、どうも新宿支署には集まりやすいのかもしれない。
「おやおや。今度熊谷さんに使い方を教わってみるといいですね。多分手取り足取り熱心に教えてくれると思いますよ」
動物大好き熊谷さんなら狐娘の葵ちゃんにはさぞ熱心に教えたがるだろう。
「ところで坂上くんはどこですか?」
普段ならデスクで一升瓶を転がしている男の姿が見当たらない。まだ実調の命令も出ていないはずだがどこへ行ったというのか。ウロウロと探していると矢吹係長から「坂上は飲みに出かけた」という情報提供があった。朝から開いている飲み屋があるのが悪いのか、それとも朝から飲みに行く奴が悪いのか…私はどうしてもついて来るという葵ちゃんを連れて坂上を探しに出た。
歌舞伎町の一角にある、24時間営業の居酒屋。そこで坂上は4体ばかりの信楽焼のタヌキの置物に囲まれて酒を飲んでいた。声をかける段になって、私はそのタヌキが置物ではなく妖怪であることに気づいた。妖怪化け狸。別に何か悪さをするでもなく、酒場に出没しては酒の飲んでポンポコ騒いでいるだけの陽気な連中だ。
「ん~おいしい!灘の酒が口いっぱいに広がりますぅ!」
酒を飲みながら語るのは眼鏡をかけた恰幅のいい狸の妖怪、たぬ蔵(170歳)。遠目にはタヌキどころか熊に見えなくもない。
「いや~美味い!朝からこんなん飲んでたら頭おかしなるで」
同じく酒を飲みながら語る、顔に不釣り合いなデカいサングラスでキメた狸の妖怪、TANU@GAME(タヌゲーム、132歳)。高田馬場周辺を根城にしており、『戸塚勃起狸』なる蔑称別称で呼ばれている。
「まあいいじゃありませんか飲酒は自由ですから」
そう重々しく述べたのは4体の中で最年長、日本を代表する偉大な狸の妖怪、狸田たぬ作先生(700歳)。室町時代よりも前には楠木正成の陣営に参加していたという伝説の持ち主である。
「フウ~朝から飲酒気持ちいい~!あっお姉さんビールビール!生追加で」
やけにテンションが高いのは全体的に肌が黒く、異様に筋肉質な狸の妖怪、通称タヌウ先輩(114歳)。4体の中では最年少だが何故か先輩と呼ばれている。下北沢地区で妖怪詰云を全滅させた功績を持つパワー系タヌキでもある。
「これはこれは皆さん朝からお揃いで」
私が挨拶をすると、狸の妖怪達は思い思いのタイミングで挨拶を返してきた。全員声が被っていて一つも聞き取れなかった。彼らは私の後ろで緊張している葵ちゃんに気づいて、一斉に腹太鼓を鳴らした。敵対していない妖怪に対する、彼らなりの友好の挨拶である。当の葵ちゃんはびっくりしたのか、私の背中を思い切り摘んだので私は背中に内出血を負った。
「坂上くん、飲みの最中悪いんですが調査業務です。都庁裏に行ってください」
坂上も狸軍団もそのまま店を後にしたため、会計は私が払わされる羽目になった。
新宿高層ビル群の象徴ともいえる東京都庁。その裏に広がる緑地に姿を現したのは醜悪な妖怪、質糟であった。今までの質糟よりもさらに醜悪な姿に変貌し、そのキモオーラでメンヘラ女性たちを次々に失神させていた。そこを運悪く通りかかったのは、岐阜から避難してきていた女子高校生の初海ちゃんだった。
「ゲヘヘヘヘ…俺は前前前世から君のことを求めてたんだよ!」
初海ちゃんににじり寄る質糟。
「いや…気持ち悪すぎ…瀧くん助けて!」
メンヘラではない初海ちゃん、当然の反応を示す。だが彼女と数奇な運命を経て絶賛交際中の瀧少年はその場にはいない。じりじりと迫りくる質糟。危うし初海ちゃん。このままでは精神と肉体をダブルレイ○されてしまう。
「あ、おい待てい」
現場に到着した坂上、サカヅキに変身して質糟に殴りかかる。両者は一進一退の攻防を繰り広げる。素の戦闘能力で上回る坂上が徐々に質糟を圧倒し始めたが、質糟が突然口から茶色い液体を吹いた。それを浴びた盃鬼の装甲の一部が融ける。
「うおっ!何だこいつ」
驚いて飛びすさる盃鬼。調子に乗った質糟はどんどん液体を吹いてくる。液体が初海ちゃんにかかってはいけないので、徐々に盃鬼が劣勢に立たされていく。もはや勝ち(と初海ちゃんへのレ○プ成功)を確信した質糟は小躍りしながら飛びかかろうと体勢を整えている。
「お ま た せ」
そこへ金玉の皮を拡げ凧のように空を飛ぶ、愉快な狸軍団がやってきた。タヌウ先輩とたぬ作先生、そしてたぬ蔵の3体だ。タヌゲームはオフ会をしに板橋のイオンへ行ってしまったということらしい。
「ヨガフレイム!」
たぬ作先生が火を噴くと、質糟は舌打ちしながら飛びのいた。
「坂上くん、これを使いなさい。今日の酒代のお礼です」
酒代を払ったのは私だが、その事実を指摘する者はこの場に誰もいない。たぬ作先生は金色に輝くコインのような物を盃鬼に渡した。俗に妖怪メダルとか呼ばれているアイテムである。坂上がそれを武器の法螺貝の中に突っ込むと
「タヌキ!キンタマ!アーマー!タタタタタタヌキンアーマー!」
とよくわからない音声が流れ、盃鬼が金色に輝く装甲を纏ってゆく。盃鬼の、現役の戦鬼としては闘鬼、暁鬼に次ぐ3例目の装甲形態である。質糟はそれを見て再び茶色い液体を吹きつけるが、ワックスを塗った車体にかかった雨粒のようにあっけなく弾かれてしまう。
盃鬼は法螺貝から炎を放つ。今までの火球とは色からして違う。金色に輝く炎が噴射され、それの直撃を受けた質糟は「女…女いねえか…」と断末魔のキモイ叫びを上げながら燃え尽きた。
戦いを見届けたたぬ作先生ら狸軍団の一行は満足げに飛び去って行った。金玉の大風呂敷を拡げて…。初海ちゃんは坂上に礼を言うと、迎えに来た瀧くんと連れ立って帰って行った。
「うい~っす戻りました~」
私と熊谷さんが葵ちゃんの魔法の練習を見守っていると坂上が戻ってきた。「質糟キモすぎしね」と思いっきり雑に書きなぐった紙切れ(坂上はそれを報告書だと主張していたが)を私に押し付け帰ろうとする坂上。
「待ちなさい坂上くん。はいこれ、今月の給料」
私は坂上に給料袋を手渡す。
「あ、ありがとナス!って薄い…薄くない?今月の給料袋」
「今日の飲み代を天引きさせてもらいましたからね」
悪魔か死神を見るような目で私を見る坂上。私は坂上の視線に気づかないフリをして、葵ちゃんの魔法の練習の様子を見ていた。
つづく