第18話

「たまには葵ちゃんにもおつかいに行ってもらいましょうかね」

私がそう言うと、葵ちゃんは物凄く緊張した表情になった。尻尾がピンと直立している。姉の茜ちゃんもかなり心配らしく、私の考えに反対であると目線で訴えてかけてきている。

「そんなに気張らなくてもいいですよ。ちゃんと白崎さんと島村さんに同行してもらいます。ついでにこのGPS付きの髪飾りもあげます。本来のコースを外れたらすぐに私達が駆けつけるのでご心配なく」

なんだか保護というより監視のような気もするが、過去に悪い人間に酷い目にあわされたこの姉妹を安心させるにはこうするしかないだろう。本来ならば熊谷さんか坂上を護衛につければいいのだが、二人ともあいにく実調中で不在であった。

「おつかいは何を買って来ればいいんですか?」

葵ちゃん、意を決したように質問してくる。

「買い物ではありません、ある物を本庁に届けてもらうだけです。地下鉄なら一本で行ける場所ですが狐娘が電車に乗っているとなると人が群がってきて危ないので車で行ってもらいます」

私はそう答えながら島村さんにキーを手渡した。科特庁のロゴの入った派手なスーパーカーもあるが、かえって人が群がりそうなので普通の軽自動車を使わせることにした。島村さんは女性ながら車の運転はホリ隊員よりも上手いので、今回の任務には適役だろう。ちなみに署内で一番運転が上手いのは米長コマンダーで次が秋山係長だが、おつかいくらいで一々管理職を出すわけにもいかないので今回は出番がないだろう。

平日の昼下がりだったので道は空いていた。だが新宿区の端の千代田区へ向かう辺りで、急に車の前に何かが飛び込んでくるのが見え、島村さんは慌てて車を停止させた。前に立っていたのは妖怪詰云の亜種、如如云(ニョジョウン)と呼ばれる醜悪な妖怪であった。島村さんと白崎さんは葵ちゃんを車内に残し、車から出た。

白崎さんは変身魔法に関してはもうお手の物だ。瞬時に白・緑・桃に彩られたコスチュームを身に纏い、車と如如云の間に割って入る。そして呪文を詠唱すると如如云の周りに金色に光る花粉が出現し、突然爆発した。

「草系統の魔法に攻撃力がないと思ったら大間違いですよ」

燃え盛る如如云に微笑みながら言い放つ白崎さん。しかし火に包まれて崩れた如如云の中から、新たな如如云が姿を現した。白崎さんは驚きながらも花びらを散布して視界をくらまし、如如云と距離を取る。

(攻撃が効いてないのかな?火力が足りてないのかな…?)思案する白崎さん。次の花粉を放とうとした時、如如云が謎のガスのようなものを放出してきた。

「うっ…くさい…」

袖で鼻と口を覆い、直接吸引を避けた白崎さんだったが、それでも幾分か吸い込んでしまった。如如云が放ったガスは『メンヘリウム』と呼ばれる有害なガスである。吸い込むと激しい倦怠感、疲労に襲われるだけでなく精神的に不安定になってしまう恐るべき毒ガスである。

「白崎さん!」

島村さんが叫ぶ。白崎さんは無気力と疲労感にさいなまれながらも、どうにか花びらを使ってメンヘリウムを拡散を止めようとしている。島村さんも全神経を込めて変身魔法を詠唱した。

「出来た…。でも力の迸り方が弱いわね。どうすれば…」

やはり変身魔法の習熟度が足りていないためか、島村さんのコスチュームは白一色で装飾もほとんど無かった。これは魔法少女(少女って歳ではないが)のブランク状態と呼ばれる状態であり、ここから魔法の系統に応じて色や装飾が変化するのである。困り顔の島村さん。一応この状態でも戦えるが、出力が完全でないため攻撃も防御も力が足りなくなるのである。

一方、車内で戦況を見守っていた葵ちゃんは、本庁へ届ける小包とにらめっこをしていた。その小包には「変身一発!魔法少女用」と明記されていたのである。

(お届け物を勝手に使ったら怒られるよね?)と考え小包をしまおうとした葵ちゃんだったが、白崎さんと島村さんが苦戦している以上、何もしなければ二人が負けてしまうかもしれない。次の瞬間、彼女は島村さんに向かって小包の中に入っていたドリンク剤のような瓶—変身一発の小瓶を投擲していた。

その小瓶を受け取った島村さんは躊躇う表情を見せていたが、目前に如如云が迫っている状況だったので仕方なくそのドリンク剤を飲み干した。すると彼女のコスチュームに濃紺のラインが入り、白一色から白と青の2色に変化した。さらに銀色に輝く装飾も出現した。全体的にヒラヒラも強化されている。

(あ、これが私のコスチュームの完成形なんだ)島村さんは一瞬、遠い未来を垣間見たような表情になったが、すぐに眼前の如如云に向き合う。そして杖の先から水流を発射してみせた。

「汚物は消毒!です!」

そう叫ぶと島村さんは水流をどんどん細く、勢いを強くしていく。最初は耐えていた如如云だったが、島村さんの高圧水流で徐々に崩され、一息ついて調子を取り戻した白崎さんによって崩れた部分から草の芽を生やされてどんどん身体が消失していく。数分後、如如云は「ニョジョボァアーッ!」という奇声とも咆哮ともつかない断末魔の叫びをあげて消滅した。

「や、やった…」

島村さんと白崎さんは二人してその場にへたり込んだ。葵ちゃんが駆け寄ってくる。心配そうな表情で二人の顔を覗き込む葵ちゃん。白崎さんは葵ちゃんの髪の毛をなでて大丈夫だとアピールした。

そんな時、妖怪質糟が出現した。如如云の断末魔の叫びに引き寄せられて湧いてきたのである。白崎さんと島村さんはとても戦える状態ではないが、なんとか葵ちゃんだけは逃がさなければならない。力を振り絞って葵ちゃんの前に立つ二人。質糟はくさそうな亀頭をいきり立たせて迫ってくる。

もうそれほど距離がなくなり、目を閉じる白崎さんと島村さん。だが質糟は突然動きを止めたかと思うと、勢いよく燃え始めた。崩れ落ちた質糟の後ろに、赤いコスチュームに身を包んだ金髪の魔法師が立っていた。

「ハーイ美咲ちゃん瞳ちゃん、それに葵ちゃんも大丈夫?」

ちょうど実調から戻る途中のスギウラさんであった。彼女は質糟を憎んでいたこともあり、一切の躊躇なく最大の火力を叩き付けたのであった。そして燃えカスとなった、さっきまで質糟だった灰をスギウラさんは思い切り足蹴にしてバラバラと風化させてしまったのである。

「ごめんなさい…」

新宿支署に戻った葵ちゃんは、私の顔を見るなり泣きそうな表情になって謝りだした。

「まあいいですよ。初めてのおつかいに失敗は付き物ですからね」

確かに試作品だった『変身一発!』を失くしてしまったのは困るといえば困るのだが、三人とも無事に戻ってきたので大きな問題ではない。それに島村さんが実際に使用したので、貴重なデータも取れたのである。

「あ、それはそうと島村さん」

私はデスクに戻ろうとする島村さんを呼び止めた。

「あの試作品の変身一発は使用者の身体への負担が大きいので、今日は8時間以上睡眠をとってください」

私に言われるまでもなく、島村さんは宿直室に布団を敷いて眠り込んでしまった。茜ちゃんはよほど妹のことが心配だったようで、葵ちゃんを抱いたまま中々放そうとしない。葵ちゃんはちょっと息苦しそうにしていたが、風呂場の掃除があるから、と茜ちゃんの腕から抜け出して上の階へ上がっていった。

「あ、報告書…」

試作品の紛失事故である以上、送り主である私が報告書を書く以外になさそうだ。私は頭を抱えて自分のデスクへと戻るのであった。

(つづく)