雑記75

サークルに入部したのが10年前だという事実。狂いそう…

私が入部した時、幹事長はオタクミン先生だった。サークルには活気があったが、実はその前の年にサークルの分裂騒動があったり、超大型サークラの襲来があったのだということを私は後に知った。大変な時期だったのだが、だからこそ誰とでも友達になってしまうオタクミン先生が幹事長に最適だったのかもしれない。

この頃は(いい意味で)意識の高いオタクの先輩がいて、声優を呼んでイベントを開催していた。あれはあれで楽しかったが、最近はオタサーが乱立し声優の奪い合いが続いているのでやろうとしても難しいと思う。

2年生の時の幹事長は田川先生という同人作家だった。この人はとても面白い人で、今思えばこの時期のサークルは極めて平和だった…と思ったけどジェダイ事件とか硯事件とか色々あった。ちなみに前年度の終わりには別サークルとの合同飲み会で暴れて問責になった同期が、突如メンヘラ全開のメーリスを流して姿を消す事件があった。

このブログによく名前のあがるハゲちゃびん君やアッキー君は、この年から加入した。えむ君のサークル内恋愛が始まったのもこの年だ。

3年生の時の幹事長は同期のううう君だった。学生時代から変わった男だったが、最近ちょくちょく酒が絡む失敗をやらかしているようなのでちょっと心配だ。元気な姿を見たい。この年は新歓期に色々あって、同期の中でもえむ君、そんし君らと並んで仲の良かったさっちん(仮)が退部してしまった。さっちんサイドがオタサー以外に居場所を確立したこともあるが、どうもサークル内の空気の変化がイヤになったという話もある。現役生もこれを読んでいるならば、大事なことは一部の人間で勝手に決めないよう心掛けてくれよな。

4年生の時は大震災が発生して開幕が1か月ズレ込んだ。休校になった4月はというと麻雀ばかりしていた。この年の幹事長はしじみん。塾講時代にあんな事やこんな事をしてそうなってしまった男だ。彼もあまり大学に来ないタイプだったが、ハゲちゃびん君やアメカス君がサークルを切り盛りしていたし、何より大震災をいいことにロクに就活をやらない4年生が(もちろん私も含め)大量にいたので人手不足とは無縁だった。

この年を最後にオタクミン先生が大学を離れたので、一つの時代の変わり目だったのかもしれない。

5年生の時はたりずー君が幹事長だった。この頃になるとサークルの男女比率は、全盛期の95:5くらいから80:20くらいになっていた。まったくオタクというのは奇妙な人種で、ほぼほぼ男しかいなかった時代には「女の子の勧誘」など考えもしなかったのに女子部員が増えてくると「女子を獲得しよう」などと言い出すのである。

無論これはたりずー君が言い出したことではないので、彼に全く責任はないのだが有望なキモオタ男子を囲い込めなかったために、この年の新人で4年間の在籍を全うしたのはたった2人だった。もちろん2人とも男子だった。女子はあくまで「偶然入るもの」なので、新歓で狙うのは…やめようね!

6年生の時の幹事長はがら君という人物だった。このブログを読んでいるサークル構成員の内、多分OB勢は知っていると思うが現役組は知らないかもしれない。いや在籍期間被ってるから知ってるか。普通に在籍して普通に4年で卒業して普通に就職した。特にぶっ飛んだエピソードのある人物ではないが、本来幹事長はそういうタイプの方がいいのかもしれない。

7年生の時の幹事長はいーそう君という人物だった。この年のサークルではよくも悪くも面白エピソードはあまり聞かないが、幹部学年が実質2人しかいないという危機的状況だったことを考えると彼のサークル運営はもっと評価されてもいいのかもしれない。まあでもこの年も4年生はけっこう残っていたし2年生はそこそこ枚数いたんだよなあ。

あと面白エピソード無いってウソだわ、爪ウン襲来がこの年だ。これ以降のえむ君の暗転を考えると悲しくなる。この前の年くらいまでは才気溢れる秀才って感じだったのになあ…

私のサークル員としての最後の仕事は、当時の2年生から次の執行部を選出する総会だった。後輩からの評判が芳しくなかったO君(仮名)を幹事長候補から外すために、私は色々とやったのである。結果ベルク―ト君が幹事長になり当時の1年生達の退部も避けられたので、私としてはやったことは間違いではなかったと自負している。

サークルの歴史は当事者の口から語るとどうしても主観的になるんだよね。

おわり