第38話
「あ~寒い。こういう馬鹿みたいに寒い日はアルコールを摂取して体内の燃焼効率を上げないと仕事にならないナア」
私に聞こえるよう大声で言いながらデスクで堂々と飲酒している坂上である。そんなに飲みたきゃ工業用アルコールでも飲んでろ、と言いたいところだが子供(研修生ズと陽ちゃん葵ちゃん)の前だったのでグっと堪えた。
「今日の実調は2か所。中野区鷺宮と練馬区中村です。鷺宮には熊谷さん、宮前さん、白崎さんと宮前さん妹。中村にはスギウラさん、島村さん、鹿島さん、一之江さんに行ってもらいます。矢吹係長と神木田さんは本部待機です」
私はいつも通り報告書に基づき人員を割り振る。来年から神楽坂が合流すればこういう仕事を任せられるので、私ももう少し現場に出られるようになるだろう。尤も今年入った若手3人娘も研修生3人娘も着実に力をつけてきているので、私の出番自体がそうそう無いかもしれないが。
鷺宮は昔は低湿地だったらしく、神社に多くの鷺が飛来したことが地名の起源であるという。西武の駅前は喧噪を伴っているものの、一本路地を入れば閑静な住宅街である。
「あ、神社の方に何かいますね…」
異常に気付いたのは白崎さんだった。甲羅の幅1メートルはあろうかという巨大な蟹の怪物がいたのである。甲殻要塞生物カニ・ドウラ・クー。不当な殺され方をした蟹の怨念が集合した妖怪の一種である。赤い甲羅には禍々しい棘が生え並び、大きな鋏は人命さえ奪いえるものである。
中村もまた、昔は低湿地であった土地である。昔まだ練馬区が板橋区の一部であった時代には大きな沼があったものだと、私は主任時代この地域の老人に教えてもらったことがあった。
「あそこの畑に何か不気味な影があるわね…」
スギウラさんが同行している後輩達に告げる。目の前に現れたのは、いつかスギウラさんが退治した豚の骨の妖怪であった。その時のものより幾分小柄なので、恐らくは別個体であろう。
同時刻、鷺宮側。
「あのカニの泡は有毒です。そのまま戦うのは危険ですね」
宮前さんがタブレット端末で資料を確認している。カニ・ドウラ・クーの泡は人間の細胞にダメージを与える成分が含まれているのである。
「それじゃ装備を変えましょうね。変身!」
熊谷さんが叫ぶと、彼女の身を包んでいた衣服が変化し始める。白地に薄い青を基調とした振袖のような和服風の装束に銀色をあしらった帯。熊谷さんなりの魔法少女テイストのコスチュームに身を包み、カニの妖怪に向き合う。魔法少女コスチュームは単なる飾りではなく、魔法力を帯びているため身体を保護する機能があるのだ。
それを見ていた他の3人も一斉に変身魔法を起動する。白地に若草色を基調としたドレス風の装束は白崎さん。黒いカーディガン+黒地に赤と金の装飾の入ったローブという魔法使い然とした装束は宮前さん。詩織ちゃんも魔法学校で変身魔法を履修済みだったりする。白単色に袖口に青い縫い付けの入った巫女服のような上衣に水色の袴。濃紺に金色の縁取りがついた帯は背部で大きく蝶結びになっている。杖も祓い串のように変化している。
「今の魔法学校ってそんなのも教えてくれるんだ…」
呆気にとられる宮前さんと熊谷さん。
その頃、中村。赤いドレス風の装束に身を包んだスギウラさんは。豚骨の妖怪を倒し終えた所であった。思っていた以上に執念深い相手だったらしく、流石のスギウラさんも肩で息をしている。汗で白い肌に金髪が貼り付いている。
「3人ともお疲れ様」
疲れた表情は一切見せず、後ろで推移を見守っていた後輩3人にねぎらいの言葉をかけるスギウラさん。3人とも防護のためコスチュームを身に纏っている。島村さんの装束は姿形は白崎さんのそれと瓜二つだが、配色が違っている。淡いクリーム色地に濃い青が基調になっており、彼女の得意とする魔法系統を現している。
一之江さんの装束はフリルが多くてアイドル衣装みたいだ。配色も淡いピンクに翡翠色と黄色のチェック模様とけっこう派手目である。本人の大人しい性格とは対照的と言えるだろう。鹿島さんの装束はセーラー服風である。白地に濃紺の上衣、濃紺のプリーツスカートで夏ならばかなり涼しげだろう。リボンの付いた丸い帽子がお洒落だ。
それはさておき、鷺宮では。
カニ・ドウラ・クーの予想外の甲羅の硬さに苦戦していた。熊谷さんと詩織ちゃんが足回りを凍結させて動きを止めることに成功したものの、有害な泡と危険な鋏のために迂闊に接近できない。宮前さんが高圧の電気を一点に集約させ、即席のレーザーメスのように射出する。3度か4度繰り返した所ようやく甲羅に穴が開いた。
「あの穴から入れます」
白崎さんは呪文を詠唱していく。ほどなくして蟹から草が生えてきた。それでも蟹は動きを止めないので、白崎さんは草の根を使って甲羅を内側から少しだけ壊した。そこから新たな草を生やす白崎さん。蟹は背中全体に草木が生い茂ってもなお動き続けていたが、10分ほどでようやく動きを止めた。
私が豊之内、秋山、新城の各係長と麻雀を打っていると実調出動を終えた2組8人の魔法師たちが戻ってきた。それぞれ私に報告書を提出すると、思い思いに上の階の風呂場へと向かっていった。なお私は麻雀は勝てなかったが大負けもしなかった。途中で坂上が持ってきた酒を皆で飲み始めたため、入浴を終えた女の子たちが降りてきた時には宴会状態に入っていた。
激動の平成28年も残すところあとわずかになった。しかし年の瀬にはわけのわからない依頼がよく来るものだ。私は熊谷さんとスギウラさんから受け取った報告書に目を通すため、飲酒を途中で切り上げ自席へと向かった。
つづく