第29話

「実習生を受け入れてほしい」

八王子にある魔法学校から新宿支署へそのような要請が来たのは、今年が初めてであった。それは魔法学校が科特庁の管轄下に入り、旧来の指導者層の入れ替えが完了した証左でもあった。

魔法学校は元々魔法庁の権益の象徴のような存在だった。教師も経営陣も家柄で決まり、名家の子女は常に優遇されてきた。そのため科学特捜隊の構成員として魔法庁を吸収した私達が真っ先にメスを入れたのがここであった。紛争時に魔法庁側の中心にあった家柄の人間を次々と追放し、思想教育を廃止させた。科特庁の支署に実習要請があったのは、ようやくその成果が出たということである。

「実習生だと?まだ新人の一本立ちも出来てねえのに?」

米長コマンダーは微妙に後ろ向きである。支署の責任者という立場上、受け入れに慎重にならざるを得ないのは当然といえば当然ではある。

「新人は一本立ちはしてないですが指導役いなくても最低限の仕事は出来てますから大丈夫でしょう。矢吹さんが来て懸案だった係長も埋まりましたし」

私がとりあえず説得に成功したので、実習生が来ることになった。「とりあえず日本語が通じなくて困ることがなければいいな」と秋山係長。民間企業に勤務していた頃に外国人実習生を巡ってひと悶着あったらしい。くわばらくわばら。

「実習生の指導役は矢吹係長にお願いします。島村さんの指導は熊谷さんがやってください」

朝会で役割分担の話をすると矢吹さんは若干不満そうな顔をしていた。私も米長コマンダーも気づかないフリをした。

新宿支署に割り当てられた実習生は3人だった。米長コマンダーは「えっ1人じゃねえのかよ」と驚いていたがこの人資料に目を通さないからなあ…。私が学校から受け取った資料にはちゃんと3名と書かれていた。

1人目は一之江ありす、16歳。紛争で滅亡した一之江家の分家筋の娘である。彼女の父親は宗家と折り合いが悪く、紛争時に中立を表明して参加しなかったことで家を滅亡から守った。明るめの茶髪を二つのおさげにまとめた小柄な少女で、育ちの良さそうな雰囲気が全身から出ている。

2人目は鹿島アリス、16歳。父は日本人、母は英国人というスギウラさんと同じ組み合わせのハーフだ。髪色は金というよりもクリーム色に近く、瞳は緑色をしている。どこからどう見ても英国貴族の令嬢だが新座生まれの練馬育ちで、魔法学校に入るまで魔法に触ったことすらなかったという。好物は餃子で趣味はハゼ釣りらしい。完全に東京の一般庶民の子供である。

3人目は宮前詩織、17歳。名前から察しが付くとは思うが宮前さんの妹である。赤い縁取りの眼鏡をかけているところは宮前さんと共通しているが、宮前さんが明るい栗色の髪なのに対し妹の方は艶のある黒髪だ。使う魔法のスタイルは対照的で、姉のような現代式魔法ではなく古典的なスタイルの魔法使いである。

「で、実習って何やんの?実調には免許ないと出せねえだろ」

緊張した面持ちの3人の前で、米長コマンダーが私にひそひそと話しかけてきた。

「一応、実習中は仮免許が出ていますから大丈夫です。まあ実調は基本的に見学だけになるでしょうけど」

そんな私達のやり取りを横目で見ながら、矢吹係長は実習生一人ひとりに声をかけて回っている。会議室を出て執務室のあるフロアに降りると、実調から戻ってきたメンバーが自席に座って談笑していた。

「あ、お姉様!」

詩織ちゃん(私もこの子とは彼女が幼児だった頃から面識があるのでこう呼んでいる)は顔を輝かせて宮前さん…ではなく熊谷さんに抱きついた。事情を知らないメンバー、神木田さんや島村さんは呆気に取られている。当の宮前さんは慣れているので、熊谷さんに抱きついた詩織ちゃんを引きはがしている。

「こら詩織、本当のお姉様への挨拶は?」

「ちょっとお姉ちゃん痛いって!痛い痛い!いじわるをしてはいけない」

この姉妹はいつもこんな調子である。抱きつかれた熊谷さんも慣れているためか、ため息を一つ吐いた以外には特にリアクションはなかった。他の実習生二人、一之江さんと鹿島さんは若干引いている。このくらいで引いていては科特庁の職員は務まらないのだが、まあ実習をやっていれば慣れるだろう。

「統括、落合に詰云が出ました」

新庄係長が報告してくる。詰云くらいなら、実習生に経験を積ませるのに丁度いい。私はさっそく矢吹係長に、実習生3人を連れて行くよう指示した。

新宿区の端、中野区にほど近い落合の街に皆が到着すると、詰云は細い路地をウロウロしていた。矢吹係長はひとまず3人に詰云を倒させることにしたらしく、近くの街路樹の上に登って様子を見守っている。3人の中では年長の詩織ちゃんが先陣を切った。

「妖怪爪ウンコ、覚悟~!」

叫ぶなり杖を振り、魔法を展開する。彼女が得意とするのは、熊谷さんと同じく氷系統の魔法である。青白い光線が詰云めがけて飛んでいく。その様子を後ろで見ていた一之江さんと鹿島さんは「宮前先輩、お下品…」と呟いていた。

しかし詰云は凍らなかった。詩織ちゃんの光線の収束率が足りていなかったのだ。この世のものとは思えない、おぞましい顔で近づいてくる詰云。仕方なく鹿島さんが魔法を展開し、高圧水流で詰云を押し流す。彼女は島村さんと同じく水系統の魔法を使うのである。高圧水流で30メートルくらい吹っ飛ぶ詰云。

「汚物は消毒ですっ!」

えへん、と胸を張る鹿島さん。だが詰云の生命力は尋常ではない。全身を汚物でコーティングした最終形態に変身し、猛スピードで突っ込んでくる。そのあまりにも汚い姿を目の当たりにした3人は、もう魔法を展開することも出来ず泣きそうな顔で突っ立っている。これは危ない。

それまで傍観に徹していた矢吹係長が動いた。アーチェリーに使う弓のような魔術弓で魔術コードを彫り込んだ木製の棒を放つ。彼女の得意とする魔法は風系統の魔法だ。飛んでゆく木製の棒の周囲に鎌鼬のような烈風が巻き付き、詰云を次々に貫通していく。ものの2射か3射で詰云はバラバラになった。

「はい今日の実習は終わりです。帰るわよ」

矢吹係長は呆然と立っている三人娘に声をかける。3人とも金縛りが解けたようにその場にへろへろと座り込んだ。こうして実習生の最初の実戦経験は無事に終了したのであった。支署に戻ってきた3人は報告書の書き方をスギウラさんから指導されていた。明日には報告書が無事提出されるだろう、と私は期待を抱いて、夕飯を食べる店を物色するべく庁舎を出た。

つづく