第23話

龍ヶ守町から戻ってきてから数日間、私はまともに仕事ができる状態ではなかった。大規模な魔法を最大出力で撃った反動は思っていたよりも大きく、仕方なく私は職場のデスクに座ってじっとしている日々を送っていた。葵ちゃんが私の膝の上に乗ってきて、甘えるような仕草を見せている。これは私に好意があるわけではなく、人間の男を誘惑しようとする狐娘の本能である。別に葵ちゃんも悪意があるわけではないので、私は苦笑しながら彼女の髪の毛を指でくるくるして相手をしてあげた。

銀色の巨人についてはわからずじまいだった。迫水隊長も村松課長も何か知っている風ではあったが、公式には宇宙怪獣は特生自衛隊に倒されたことにされ、巨人については何も語られなかった。

私は巨人そのものよりも、その直前に見た初老の男性が気になっていた。私の記憶が正しければ、彼は科特庁航空宇宙技官学校の早田教授のはずだ。科特庁の前身の科学特捜隊時代には村松課長の部下だった人物。そして数十年前にジェットビートルでの飛行訓練中に墜落事故を起こしながら奇跡の生還を遂げた英雄でもある。その事故現場こそ他ならぬ龍ヶ守湖だったはずだ。早田教授と銀色の巨人には何らかの関わりがあるのではないか?

しかし私はこれ以上の詮索はしないことにした。村松課長が黙っているということは、一般に知られては困ることがあるのだろう。それにあの銀色の巨人は明らかに人類に対し一切の敵意を持っていなかった。それに万が一情報は開示され実調が必要となっても、龍ヶ守町は高山支署の管轄だ。私の出る幕はないだろう。

翌日。久々に通常の朝会に出席した私は、いつも通り実調の依頼書を読み始めた。

「え~今回は新宿御苑に行ってもらいます。圃如という妖怪が池に迷い込んでしまったそうなので捕獲して荒川に放流します」

圃如(ぽにょ)。人面魚の類の妖怪としては世界最大クラスで、大きなものでは4メートルにも達する。デカい図体の割にはプランクトン食なので、特に人に危害を加えるということはない。とはいえ、浅くて狭い新宿御苑の池に放置しておくと客が不安がるということで、水量の豊富な荒川に移送することになったのである。

「今回の要員は?」

秋山係長が聞いてくる。ひとまず水系統の魔法に長けた島村さんは確定だろう。逆に炎系統の魔法が専門のスギウラさん神木田さん、電気系統の宮前さんは候補から除外すべきだろう。となると消去法で熊谷さんと白崎さんか。今回は戦闘は発生し得ないので、洲本さんに任せるというのも手だ。矢吹係長はどうか?今回の任務で飛び道具の出番は恐らくないだろうから外すか?しかし係長級で今手が空いているのは彼女しかいない。

「それでは現場の指揮は矢吹係長に、担当は島村さんと熊谷さん、それに洲本さんにお願いします。宮前さんと白崎さんは予備要員として本部待機とします」

私は数分間の熟慮の末にメンバーを決定した。

新宿御苑は四ッ谷と新宿の間にある大きな庭園である。熱帯植物園やバラ園も併設されているのが特徴だが、庭園の真ん中にある大きな池はしばしば異世界と繋がってしまうポータルが発生するらしく、過去にもケツァルトルを始め何種類かの怪物が出現して騒ぎになったことがあった。

「日差しが穏やかで気持ちのいい公園ですね。芝生も綺麗ですし寝転んでビールでも飲みたいです」

公園につくなり感想を述べる島村さん。

「この公園内はアルコール飲料の持ち込みは禁止ですよ。そんな坂上くんみたいなことを言わないでください…」

苦笑する熊谷さん。売店で売られているバラを使った髪飾りを見ながら、これは葵ちゃんへのお土産にいいんじゃないかしら、青みがかった髪と薄紅の髪飾りのコントラストが映えそうですね、などとのんきに話している。

中央の池までやってくると、バカデカい魚のような物がプカプカと漂っている。問題の圃如だ。全長は1.7メートルほどだろうか。

「こんにちは」

熊谷さんが綺麗な声で挨拶の言葉を投げかける。

「ぽにょ。」

圃如が返事をした。人面魚系の妖怪は、程度に違いはあるがある程度の知能を有している場合が多いのである。会話が出来るならば話は早い。熊谷さんはさらに圃如に向かって話しかけていく。

「ここは水量が少ないですし餌も少なくて危険ですから、大きな川へ行きましょう?」

「ぽにょにょ。ぽにょぽにょぽにょ!ぽにょ。」

目を白黒させる熊谷さん。圃如が何を言っているのか、そもそも自分の言葉が通じているのか。それさえもわからない。

「私がやるから任せて」

どうしたものかと思案する熊谷さんを後ろで見守っていた矢吹係長が引き継ぐ。

「ぽぉぉぉぉぉ!ぽっ!ぽにょ。ぽにょぽにょ!」

「!ぽにょ。ぽにょにょにょにょ!ぽぽぽゥ!ぽにょぽにょ。ぽにょ。」

何を言っているのかは傍目には絶対に分からない会話が10分ほど続いた。

「熊谷さん、合意取れたわよ。トラックの荷台にのっけて岩淵水門まで運んで。洲本さんと島村さんも積み込みの準備をしてちょうだい」

もはや言語かどうかさえ分からないやり取りを終えた矢吹係長が告げる。熊谷さん達は呆気に取られていたが、ともかく作業に取り掛かった。まず洲本さんが軽トラックを池のほとりに寄せて停める。

島村さんが池の水面に向けて魔法を放射すると、水が勢いよく動き始める。軽トラックの荷台と池とを繋ぐ水柱が立ち、熊谷さんがその表面だけを慎重に凍らせてゆく。島村さんは水の勢いを落とさないよう力いっぱい、熊谷さんは表面だけが凍結するよう慎重かつ繊細に、それぞれ魔法を放出している。ほどなくして、池の水面から軽トラックの荷台まで大きな氷のパイプが完成した。

「ぽーにょっ!」

圃如はその中をすいすいと泳いで通り抜け、簡素な生け簀のような構造に改造された軽トラックの荷台にスッポリと収まった。今回は新宿支署の任務はここまで。あとは放流地点のある北支署の取り扱いとなる。北支署の職員に軽トラックを引き渡し、新宿御苑を後にする熊谷さんら御一行であった。

支署に戻ってきた面々に、いつも通り飛びつく陽ちゃんとその後ろから恥ずかしそうについてくる葵ちゃん。熊谷さんは二人にお土産を渡した。黒髪の陽ちゃんには白いバラの髪飾り。青みがかった銀髪の葵ちゃんには薄紅のバラの髪飾りをそれぞれ渡す熊谷さん。

「ありがとう熊谷のお姉ちゃん!」

満面の笑みを見せる陽ちゃん。

「あ、あの…ありがとうございます」

頬を少し赤らめる葵ちゃん。

茜ちゃんは矢吹係長の買ってきたバラ香料入り石鹸をもらっていた。

「皆さんお疲れ様でした。もう夕飯時ですし出前でも取りましょうか?」

ようやく書類の決裁が終わったので、私も熊谷さん達にねぎらいの言葉をかけるため自席から立ち上がった。

「ところで島畑さん。島畑さんの魔法を使えば私が通訳に行かなくても普通に圃如の思考も解析できたんじゃないですか?」

矢吹係長に指摘されてハッとなる私。どうも龍ヶ守町での一件の疲れが抜けきっていないようだ、そんなことに気が付かないとは…。

「まあ、いいじゃないですか。それよりご飯にしましょう、私はお寿司が食べたいです統括係長。島村さんはサーモンが好きだそうですよ?」

熊谷さんが助け船を出してくれたので、それ以上私が追及を受けることはなかった。しかし彼女の言葉の後半が気になる。アレは私に奢れということだろうか?熊谷さんはウキウキで寿司の出前を注文している。私は大急ぎで財布の中の現金残高を確認した。

(つづく)