読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

第19話

定時を過ぎ、多くの職員が退庁した夜の新宿支署。その宿直室では、宿直担当のメンバーがワイワイやっていた。

「みなさん、今日も如如云と質糟の討伐お疲れさまでした。相変わらず臭くて汚い連中でしたけど、ああいうのをのさばらせないのが私達の使命でもあります」

力強くコメントを発したのは矢吹係長だ。今年で27になる彼女は普段はのほほんとしているが、その豊富な経験から来る落ち着きと魔法師としてのキャリアの長さから、すっかり女性魔法師チームのまとめ役に定着しつつあった。なんといっても報告書をきちんと出してくれるので、私にとってはいてくれるだけでもありがたい。

「みなさんお疲れさまですう。神木田さんが釣ってきた魚を持ってきてくれたので、どれを最初に食べたいか選んでください」

これまたのほほんとした声でそう告げたのは支署に居候している狐娘姉妹の姉の方、茜ちゃんである。赤みがかったオレンジ色の髪と黄玉色の瞳をしており、妹の葵ちゃんは色白でおとなしそうな外見なのに対しこちらは元気いっぱいという感じの娘だ。

「あら、嬉しいですね」

熊谷さんはそう言いながらクーラーボックスの中身を確認していく。神木田さんが東京湾で釣ってきた魚はほとんどがハゼとキスだった。これらは刺身ではなく天ぷらで食べるとおいしい魚だ。しかし底物特有の匂いがあるので刺身には向いていない。しばらく熊谷さんが物色していると、ボックスの底の方からピンク色をした鯛が出てきた。

「これにしましょう」

熊谷さんが選んだ鯛を、茜ちゃんは給湯室の流しで器用に調理し始めた。三枚におろされ、湯引きされて刺身になっていくピンク色の鯛。

「せっかくですけど私は自宅に魔術弓の修理業者が来るので帰ります。みなさんで楽しんでください」

そういって矢吹係長は帰宅してしまった。彼女は魔法師の中でも長距離攻撃に特化しており、アーチェリーの弓矢のような魔術弓(まじゅつきゅう)を使うのである。ただ杖と異なり頻繁な微調整が必要なのである。

で、後に残された面々は鯛の刺身を囲むと、坂上が冷蔵庫に隠しておいたビールを(勝手に)引っ張りだしてきた。職員達は宿直室備え付けの浴衣姿で、狐娘の姉妹は白いシャツに青い芋ジャージ姿で夕飯を食べ始めた。

翌朝。

私は朝当番だったので6時半に新宿支署に到着した。鍵を開けて庁舎に入り、2階の自席前のポストを見ようとして、私はある違和感を抱いた。静か過ぎるのだ。まさか宿直が全員寝坊しているとでもいうのか?私は気になったので、宿直室のある上の階へと向かった。

「島畑さぁん!」

葵ちゃんが泣きそうな顔で飛びついてきた。思わず尻餅をついた私の膝の上に座り、目を潤ませて上目遣いにこちらを見てくる葵ちゃん。元々繁殖のために人間の男を誘惑する方向に進化してきた狐娘にコレをやられると、私もいつ自制心が壊れてこの娘を押し倒すかわからない。と、とりあえず落ち着こう、な?と言いながら葵ちゃんを宥め、下半身に流入した血液を必死に上半身へ押し戻す。

「一体何が―」

私はそう言いかけて絶句した。宿直室にいた葵ちゃん以外の全員、すなわち熊谷さんと宮前さん、スギウラさんと神木田さん、それに茜ちゃんの5人が思い思いに倒れ込んでいたのである。食中毒でも起こしたか?と思ったがどうも様子がおかしい。みんな目がトロンとしていて焦点が合っていない。浴衣がちょっと直視してはいけないレベルにはだけている。そして顔を赤らめている。まるで事後のような状態になっていた。

「えっ何これは(ドン引き)。葵ちゃん、昨日の夜何か変わったことでもありましたか?変なもの食べたとか」

あられもない恰好の女性陣から目をそらしつつ葵ちゃんに問いかける私。

「はい、昨日の夜ピンク色の鯛を刺身にして食べてました。私は白身魚が嫌いなので食べなかったんですけど…」

それを聞いた私は、スマートフォンの画像フォルダの中の一枚の写真を葵ちゃんに提示した。

「そのピンクの鯛ってこんな奴でしたか?」

その画像を見た葵ちゃん、耳をピンと立てて小さく跳び上がりながら

「あっこいつです。間違いありません」

と興奮気味に答える。

「ああ~、じゃコイツが原因で間違いないですね。こいつは『イカせ鯛』という魔物というか生物でして、食べると絶頂してイッた状態になってしまうんですね」

イカせ鯛。冗談のような名前だが本当にこんな奴がいるのである。しかし本来は不感症やインポの治療に用いられる有益な魚なのである。一応は魔物に分類されているので、漁獲に関しては農水省ではなく科特庁で管理している。元来は相模湾駿河湾の深場にしかいない魔物なのだが、どういうわけか東京湾で釣れたということか。もしかしたら先日の巨大怪獣Gにくっついて浮上してきたのかもしれない。

「そんな魚がいるんですか?」

心底驚いたといった表情の葵ちゃん。

「ええ。ただ密漁されると困るので姿形に関しては一般には秘密にされています。科特庁の庁内資料には載っていますが」

なにしろ性的不能を治療する特効薬になる魚である。一般に知られたら最後、一山当てて大儲けしようとする密漁者に根こそぎ持っていかれるのは目に見えている。

「それで、どうすれば皆は治るんですか?」

再び不安げに目を潤ませる葵ちゃん。それ本当やめて押し倒したくなるから、と私は心の中で叫びつつも、彼女を安心させる責務があるだろう、と欲望をどうにか押しのけることに成功した。

「まあ絶頂しちゃっただけなんで丸一日寝ていれば治りますよ。仕方ないので今日の実調は残っている面子で何とかします。葵ちゃんも不安ならお姉さんと寮で休んでてもいいですよ」

そんなわけで過去にないくらい欠勤者の多い状態でその日の業務が始まった。葵ちゃんは寮には戻らず、茜ちゃんを執務室のソファーに転がしてせっせと署内の手伝いをしていた。そして案の定、夕方くらいになると皆正気を取り戻した。何が起きたか思い出せずポカンとしたまま葵ちゃんに抱きつかれる茜ちゃん。お互いのあられもない恰好を見て顔を真っ赤にする熊谷さんと宮前さん。光のごとき速さで風呂場に直行するスギウラさん。クーラーボックスの存在を思い出して冷蔵庫へ駆け寄る神木田さん。

「やれやれ、どうにか元通りになりましたかねえ…」

安堵のため息を吐く私。矢吹係長はそれを見て笑っている。まったく笑いごとではないのだが…。そんなこんなで一日が終わり、宿直が交代になった。私は冷蔵庫に残っていたハゼとキスを天ぷらにしたが、おろし用の大根がなかったのでスーパーへ買いに行くはめになった。そのスーパーの鮮魚コーナーに置かれいている鯛を思わず一匹ずつ確認する私。いやはや職業病とは恐ろしいものだ。

(つづく)