第16話

夏真っ盛りのある日の深夜、中野区と杉並区にまたがる大きな公園。息を切らしながら懸命に走る一人の少女の姿があった。中学生か高校生くらいだろうか。着物姿に草履を履いているが、夏祭りシーズンなのでそれほど違和感はない。決定的に特徴的なのは三角形の大きな耳とフサフサの尻尾があることだった。

狐娘と呼ばれる、人間と妖怪の中間的な存在。その特徴的な耳と尻尾を除けば、人間の女性と大差ない姿をしている。彼女達の種族にはメスしかいない。人間の男性を誘って種付けさせることで繁殖する習性を持っており、必然的に容姿が美しく男を惹きつける魅力の強い血統が残っていく。そのため現存する狐娘たちは皆とても美しい。だがそれ故に、密売組織に狙われる機会も多くなっていた。

懸命に走り続けていた狐娘の少女だが、相手はプロの密猟者である。次第に距離は縮まって行き、ついに袋小路へと追い詰められてしまった。誘拐用の麻袋を広げ距離を詰めていく密猟者。だがその時―

「はいそこまで」

気の抜けた若い男の声がした。密猟者が振り返ると、異形の装甲をまとった戦鬼と、強化装甲スーツに身を包んだ男の二人組が立っていた。警察のG5X3か、と密猟者は思案する。だが色が違う。警察のそれはブルーメタリックだったはずだ。しかし眼前のそれはガンメタリックに彩られている。

「科特庁新宿支署の坂上だ。今すぐ密猟を中止しろ、イヤなら攻撃する」

先程の声の主、坂上もとい盃鬼が告げる。

「同じく新宿支署のホリです。我々は警察じゃない。抵抗したら躊躇なく貴方を挽き肉に加工しますからね」

強化装甲スーツ―G5X3Nに身を包んだホリが警告を発する。腰には大型の銃が据え付けられている。密猟者はしばらくの間、狐娘の少女を未練がましく睨んでいたが、流石に完全武装したG5Xユニットと戦鬼を相手にするほど愚かではなかった。踵を返し、公園内の森の中へ消えて行った。

「あ、あの…ありがとうございます」

狐娘の少女は変身を解除した二人組に礼を述べる。青みがかった銀髪に空色の瞳。灰色の耳と尻尾。まだあどけなさの残るその狐娘の名は『葵』といった。元々この公園の近くに姉と住んでいたが、姉は数日前から行方不明だという。とにかく一人で家に残っていては危険だから、と坂上に勧められ、彼女は新宿支署へ連れてこられた。

「事情はわかりました。女性用の宿直室を使っていいですよ。当面は宿直続きで誰かしらが一緒に泊まることになりますので」

ホリ隊員から連絡を受けていた私は、宿直室をすぐに使えるようにセットしておいたのである。これからの時期は管内で様々な夏のイベントが頻発するため、様々なものが湧いてくる。そのため新宿支署も24時間体制で戦力を置いておかなければならず、係長級以上も輪番で宿直をすることになるだろう。狐娘が身を隠すには絶好の場所である。

この日は私が宿直をした。隣の部屋からは葵ちゃんと宿直の熊谷さん、白崎さんにスギウラさんの姦しいガールズトークが聞こえてくる。私は豊之内対策に購入していた耳栓をして眠りに就いた。

翌朝、シャワーを浴びてから近所のコンビニで朝食を買い、自分のデスクのあるフロアへ降りて朝会の準備をしていると、1階の玄関から誰かが侵入してきた。

「あっこいつ昨日の密猟者ですよ島畑さん!」

珍しく早く出勤していた坂上がモニターを覗き込んで叫ぶ。階下では女性署員達が密猟者と睨み合っていた。密猟者は隣に誰かを従えている。見ると狐娘の少女である。赤みがかったオレンジの髪に黄玉色の瞳、そして特徴的な耳と尻尾。高校生か大学生くらいだろうか。私は密猟者の視界に入らないように階段を降り、中庭から様子をうかがうことにした。

「お姉ちゃん!」

昨日保護した狐娘の少女―葵ちゃんが叫ぶ声が聞こえた。どうやら密猟者は葵ちゃんの姉の身体にC4爆弾を巻き付けて脅迫に来たようだ。対峙する熊谷さんやスギウラさんも流石に手を出せないでいる。

「この女を死なせたくねえだろ?まずは手前らが妙な行動を取れねえようにしてもらおうか。そこの金髪女は黒髪の女を縛れ。もう一人の女は金髪を縛れ。狐娘は残った女を縛れ」

 人質をとられている以上、要求に逆らうわけにもいかない。スギウラさんが熊谷さんを縛り、スギウラさんを白崎さんが縛り、葵ちゃんが白崎さんを縛る。後には縛られて動けない魔法師3人とまだ年端のいかない狐娘が残される。

「さあもう誰も守ってくれねえぞ。こっちへ来い。姉がミンチになるところを見たくねえだろ?ついでに転がってる女どもも引き取ってやろうか。風呂屋に沈めればけっこうな金になるぜ」

いかにも三下の悪役のような身なりでいかにも三下の悪役のような行動を取り、いかにも三下の悪役のようなセリフを吐く密猟者。

「やれやれ、随分と好き放題おっしゃいますねえ」

私は半笑いの表情を作り、軽口をたたきながら密猟者の前へ歩み出る。

「なんだてめえ?この女を死なせてえらしいな?」

恫喝する密猟者。

「その腕で、ですか?」

半笑いのまま発せられた私の言葉に一瞬キョトンとする密猟者。爆弾のスイッチを握っている右手を見ると―肘から先が床に落ちている。記憶と思考の操作。私はこの必殺の魔法を用いて、密猟者の思考から右腕に関する情報を、記憶から痛覚の情報をそれぞれ抜き取り、同時に切断光線を右肘へ向けて放ったのである。そして私はその2つの大切な情報を、密猟者に返してあげた。

「ガッ…グオァァァァァアア!」

悲鳴とも咆哮ともつかない声をあげる密猟者。その隙をついてホリ隊員が人質の狐娘の少女を密猟者から引き離し、C4爆弾を剥がしていく。

「お姉ちゃん!」

「葵!」

姉妹の感動の再開である。葵ちゃんの姉―茜ちゃんはどうやら密猟者の組織に誘拐されていたらしかった。大方風俗業者にでも売り飛ばすつもりだったのだろう。狐娘は半人半妖であるため、人権の定義が普通の人間ほどうるさくないのである。だからこそ悪質な連中に目を付けられやすい。

「ア…ガァァァァァァ!」

密猟者はまだ叫びのたうち回っていた。私は光線魔法で彼の脳髄を焼き切った。どこかの団体が見たら発狂するだろうが、神楽坂に話を通してしまえば本庁から「今回の攻撃は正当防衛であり適法」という発表が出るだろう。何も悪いことをしていない狐娘の人権よりも犯罪者の人権を重んじる団体などクソ食らえだ、などとは表向きには口が裂けても言えないのだが。

「殺しちゃってよかったんですか?組織の情報とか聞き出せたかもしれないのに」

死体を片付ける業者を横目にホリ隊員が質問してきた。

「彼の記憶のスキミングは完了していましたから大丈夫です。今頃本庁と警察から組織の拠点へ攻撃隊が向かっているでしょう」

私の説明に納得したようなしていないような表情のホリ隊員であった。

その場に残された二人の狐娘―茜ちゃんと葵ちゃんの姉妹の処遇はどうするべきか。元々住んでいたアパートは組織に荒らされてしまい、とても戻れる状況ではなかった。

「ではこの庁舎内を仮住まいにしますか?ちょうど宿直室の上の階には空き部屋がありますので」

どうせ家賃は科特庁持ちですから、と私が冗談めかして言うと、二人は安堵したような表情を見せた。家賃は払わなくていいので庁舎内の掃除と、勤務時間中のお茶汲みやコピー取りくらいしてくれればいい。なにしろ人手不足である。新宿支署は宿直室の上の階が寮のようになっており、現在のところホリ隊員とスギウラさんしか入居者はいない。一室くらいなら貸してしまっても問題はないだろう。

「と、いうわけなんですがよろしいですね?」

その日の夕方。私はことの顛末を米長コマンダーに報告した。密売組織が大規模な摘発に遭い壊滅したということを、私はコマンダーから知らされた。その米長コマンダーは狐娘の姉妹については

「ああーいいよいいよ。ちょうど狛犬がほしいと思ってたんだよ」

とのことでアッサリOKが出た。狐は犬じゃないんですがそれは、と私は心の中でツッコミを入れておいた。ともかく一件落着である。私が密猟者を倒してしまったことについても、密売組織の摘発のニュースが大々的に報じられ、神楽坂の工作もあったため表沙汰にはならなかった。めでたしめでたし。

(つづく)