第12話

梅雨明けはもう目前と思われたが、ここにきて雨の日が続いている。そのくせ水源地ではろくに降っていないので、今年は水不足が心配されいるようだ。新宿支署でも、節水を呼びかける水道局のポスターがちらほら貼られている。私が朝出勤し、自席の前の文書受信箱を開けると茶封筒が1枚入っていた。いつもの実調依頼書である。

「さて朝会を始めます。坂上くんはさっき電話が入って道端で倒れていた妊婦さんを病院に連れて行っているので遅刻するそうです。それはともかく、今日も実調の依頼が入っています。場所は野方だそうです。今日はスギウラさんにお任せします。神木田さんも炎魔法の実戦を見るいい機会なので同行してください。坂上くんを到着次第応援に向かわせます」

「お任せあれ。で、今回の調査対象は何者ですか?」

久々に実調に行くことになったスギウラさんはちょっと嬉しそうだ。

「野方骨豚です。名前の通り豚の骸骨といいますか、がしゃどくろの豚バージョンみたいな奴でして。どうもあの辺のラーメン屋激戦区の豚骨の怨念か何かじゃないかと本庁では見ているようですね」

依頼書の内容通りに私は答える。

「はあ?豚の骸骨?なんだか締まりの無い相手ね。まあいいけど」

若干不満気なスギウラさんだったが、ともかく実調へ出かけていった。

現地への移動中。スギウラさんと神木田さんという珍しい組み合わせの二人は、取り止めのない会話をしている。

「詩々美ちゃんはどうして科特庁に入ったの?炎魔法が使える魔法師なら他の業種も選択肢としてあったでしょ?」

スギウラさんが何気なく質問する。日英ハーフの彼女は真面目な顔で真面目に喋ると目鼻立ちの整ったアングロサクソン系美女である。普段庁舎内で熊谷さんや宮前さんにセクハラをしている姿しか知らない神木田さんは、そのギャップに若干驚いているようであった。

「ええと、実は私には中学の頃からの親友がいたんですけど」

応えて語り始める神木田さん。

「その娘も私と同じ魔法師で、将来は一緒に働こうって約束してたんです。でも彼女の父親がホルデモット卿の信奉者の生き残りで…」言葉を詰まらせる神木田さん。

「ある日その父親の蜂起計画が発覚して、警察と科特庁の合同部隊が彼女の家に踏み込んだんです。父親は彼女に戦うことを強要しました。そして…」神木田さんの目に、うっすらと光るものが浮かんでいる。

「真夜中に家を抜け出して彼女の家に駆けつけた私が見たのは、炎の中に崩れる家と彼女の亡骸、そして抵抗をやめない愚かな父親に刃を突き刺す警察のG5X3でした。私は彼女の父親のような、自分の子供を道具扱いする身勝手なヤツを抹殺するために科特庁に入ったんです」

「それは穏やかじゃないわね」

聞いていたスギウラさんが苦笑しながら呟く。

「私はね、ちょうど母とイギリスにいた頃ホルデモット紛争が起こってね。友達の中には参加して命を落とした人もいた。でも私は友達を殺した奴に復讐するために魔法師になったわけじゃないわ。命を落としそうな友達を守るためになったのよ」

スギウラさんの切実な言葉に、神木田は納得したような、していないような複雑な表情を浮かべていた。

野方骨豚はアフリカ象くらいの大きさの骸骨であった。粗末に扱われた豚の怨念が、この怪物を大型化させているのかもしれない。スギウラさんはしばし考え込んだ後、後ろにいた神木田さんに話しかけた。

「詩々美ちゃん、あなたの炎魔法を見てみたいわ。ちょっと戦ってみてくれる?フォローはするから」

「はいっ!」

威勢よく返事をした神木田さんは、懐から銀色に輝く杖を取り出した。その先端から青い炎の弾を発射する。

「焼けろ豚ァ!」

だが骨豚は焼け落ちたそばから再生していく。豚とヒトとの共生関係を一方的に反故にされたことへの怨恨に支えられ、焼け跡から次々に骨が生えてくる。

「そんな…どうやって倒せば…」

動揺する神木田さん。新任早々の実調の相手としては、確かに荷が重い相手のように思われる。人類に仇なすものである野方骨豚への怒りによって炎を練り上げていく限り、敵のこの再生能力の壁を突破するのは困難だろう。次第に神木田さんは消耗していく。徐々に炎の弾も小さく、色の薄いものになってゆく。

「詩々美ちゃん、いや神木田さん、ご苦労様。あとは私がやるわ」

後ろで様子を見守っていたスギウラさんが声をかけ、前へ踏み出した。楓材の杖(硬くて伝導効率が良い)を頭上に振りかざすと、全身を炎で覆い隠した。中から登場した時にはスギウラさんの衣装は赤と金に彩られた華やかなコスチュームに変化していた。髪の色もアニメでしか見ないような鮮烈な緋色になっている。どうやら先日の講習を受けて変身魔法を会得したらしい。

「こういう手合いはね、怨恨をエネルギー源にしているんだから闇雲に攻撃してはダメなのよ。むしろ逆よ。赦しの心が大切だから」

と後ろで見ている神木田さんに優しく話しかけると、スギウラさんは金色に輝く炎を骨豚に向けて放った。金色の炎はフェニックスの炎に通じる、癒しや再生を象徴する炎である。その炎を浴びた骨豚は、先程までに炎上箇所が焼け落ちるのではなく光の粒子になって揮発していく。ものの数分の間に象ほどもあった骨の塊は光に溶け、天に昇って行った。

「神木田さん、あなたには魔法師としての才能があるわ。それをどう使うのか、まだ若いんだしゆっくり考えましょう。いつも怒ったり恨んだりしてばかりじゃあなた自身の身体も精神も持たないわよ」

いつになく優しげなスギウラさんであった。もしかすると神木田さんに、自分自身の苦い過去を投影しているのかもしれない。

「ありがとうございます。今日は勉強になりました」

そう礼を述べる神木田さん。今はどこか吹っ切れたような表情をしている。

「お待たせ…あれ?」

今更合流する坂上。残念ながらこの日の実調では出番はまったくなかった。

『調査報告書 担当:スギウラ・坂上・神木田

野方骨豚を中野区野方の路上で発見、交戦の後浄化に成功。不条理な扱いを受けたことに対する豚達の怨恨がエネルギー源であると考えられる。したがって発見された場合は通常攻撃による破壊よりも退魔師や浄化魔法を使える魔法師による対応が適切であると思われる。放っておくと大型化するので注意が必要である。』

スギウラさんの書いた報告書に目を通した私は、思わず深くため息をこぼした。

「あれっ?どこか不備がありました?」

スギウラさんに言われて、私は自分がため息をこぼしていることに気が付いた。

「ああいえ、まともに報告書が提出されたのが久しぶりだったものですから」

公的機関としてそれはどうなのか?と思うが、ひとまず報告書に捺印した私は庁舎の中庭へ出てコーヒーの缶を開けた。魔法師達の変身練習を眺めながら、私はそれをちびちびと飲んでいた。

(つづく)