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第5話

SSのような何か

今回は私の勤務する科特庁という機関についての説明をさせてほしい。読者諸兄は人間に害をなす、様々な超常的な存在についてご存知かと思う。女性にわけの分からないものを孕ませる触手の化け物。人を取って食う妖怪や怪獣。人間の精神に深刻な被害をもたらす悪霊のたぐい。そして通常の『犯罪』という形式で立件することが不可能な、魔法だの呪術だの超能力だのとあの手この手で悪いことをする人間。科特庁はこういう手合いから国民を守るための総合機関である。

テレビや漫画で「魔法少女」「魔法使い」「陰陽師」「戦鬼」といったヒーロー、ヒロイン達の活躍を扱った作品は少なくない。しかしこれらの業種に携わる人間の身分はとても不安定であり、また定義が曖昧であった。呪符を書けない陰陽師や魔法を悪用する魔法使い、無自覚に周りに被害をもたらすサイキッカーなど、表向きフィクション上の存在であるが故に社会問題にはならなかったが、多くの役人達にとって頭の痛い問題であった。

元々、業種ごとに団体・組織がないわけではなかった。魔法少女や魔法使いは日本魔術協会に。陰陽師陰陽寮にそれぞれ所属することが多かった。しかしこれらの組織は単なる寄合でしかなく、該当者全員が所属していたわけではなかったし、派閥争いもあって十分に機能しているとは言いがたかった。一方、戦鬼に関しては平安時代後期から『猛士』と呼ばれる組合が存在し、現存する戦鬼全員を管理していた。

さらに行政側も何もしていなかったわけではない。表沙汰にできない存在を監視、抑制するため1960年代には我々の組織の前身である『科学特捜隊』が編成された他、防衛庁は巨大生物との戦闘に特化した『特生自衛隊』を組織し、警察庁も怪生物や超能力者や未確認生命体などに対し種々の特殊班を組織していた。加えて20世紀も終わる頃になると、ようやく西欧の国々に倣い日本魔術協会を魔法庁に改めている。いずれも「庁」であって「省」ではないのは、トップに担当大臣を置くことで政治家が過剰に介入してくるのを防ぐためであった。

しかし今度は各庁の間で獲物の取り合いが深刻化してきた。どこも活動実績が必要であり、倒すべき魔物や怪物の数は有限である。一番深刻化した時代には警察のパワードスーツ部隊が魔法少女を殴って怪我を負わせたり、戦鬼を自衛隊が誤射で負傷させたり、本来駆除する必要性の全くない無害な妖怪を魔法使いが攻撃するといった事態が発生するようになっていた。せっかく組織が安定したのにこれでは無意味である。事態を重く見た関係各位は、組織を一つに統合することにした。尤も特生自衛隊に関しては防衛省(この時既に防衛庁から格上げされていた)の管轄から切り離すわけにもいかず、怪獣との戦闘のみを任として存続することになった。

これに前後する1999年~2006年頃、英国で悪の魔法使いケッツォ=ホルデモット卿の率いる悪い魔法使い達が「魔法使いによる全人類の統治」を掲げ世界中で叛乱を誘発させていた。日本も例外ではなくホルデモット卿の信奉者と、魔法使いと他の人種の共存を主張する勢力の対立で魔法庁は真っ二つに別れた。結局ホルデモット卿は保守派魔法使いのエースだったハリー氏に一騎打ちの末に殺害され混乱は終息した。なお余談になるが、私は当時地方の役所から故あって科特隊に移ったばかりだったが、紆余曲折を経て魔法庁に辞表を叩きつけ科特隊に乗り込んできた若き天才魔法使い、米長さん率いる治安維持部隊に参加した。そこで戦鬼として参加していた豊之内とも知己を得たのであった。我々が米長さんを『コマンダー』と呼ぶのはこの時の名残である。

このホルデモットの乱は我が国にとって大きな転換点となった。何故なら科特隊、陰陽寮、猛士そして魔法庁や警察といった関係各位が協力して戦った初めての本格的事件であったからである。大きな敵対勢力との闘いを通じてそれぞれが抱いていた感情的なわだかまりは薄れ、統合された機関の設立への流れが加速した。そして2008年、ついに科学特捜庁、通称科特庁が発足したのである。発足から早いもので8年が経過した。私や豊之内、それに米長コマンダーなど前身組織の出身者は未だに多いが、若い宮前さん、それに坂上など直接科特庁から入庁という人も増えている。(熊谷さんはデビューが早かったため魔法庁の管轄下にいたことがある)

そんな科特庁の初代長官となったのは、科特隊出身の湯河原博士である。この湯河原博士、科特隊での研究実績が優れているだけでなく魔術協会の元会員であり、また陰陽道にも理解があるという、この機関のトップにうってつけの人物であった。しかし公用車で韓国料理店に行ったり、部下の女性にセクハラをしたりと問題行動の多い人物でもあった。同じ魔術協会(魔法庁)から科特隊の経歴を持つ米長コマンダーはこの男を毛嫌いしており、「湯がカッス」などと呼んでいた。ともあれ、世間的には湯河原博士は我々の機関のシンボルとなったのであった。

実働部隊は支署という形で割り振られることになった。我々が所属しているのは小滝橋付近(高田馬場)にある新宿支署である。大まかに言えば東京の新宿区・中野区・杉並区・練馬区あたりを管轄しているのである。地域住民サービスを供給するわけではないので、一つの区に一つというわけではない。東京都区内では他に千代田支署(大手町の本庁に併設)、品川支署(五反田)、北支署(赤羽)、世田谷支署(下北沢)、江戸川支署(小松川)、荒川支署(日暮里)がある。新宿支署は設立時はかつての米長隊がそのまま入ったような形であったが、異動と世代交代が進み設立当初からいるのは米長コマンダーと豊之内係長、そして私くらいのものである。

以上が科特庁の、そして新宿支署の今までのあらすじである。今後も今までと変わることなく、新宿支署は地域に出現する色々な厄介者と戦っていくのだろう。まあ私はあまり前線に出る機会はなくなってしまっているが。

(続く)