第2話

「はい、じゃあ今日の朝会を始めます」

理由はよくわからないが、朝会は私が進行役を務めるのが定着してしまっている。しかし特に異を唱える人もいないので、多分今後も朝会は私が仕切るのだろう。

「今日の実調担当は坂上くんです。いいですね?酒瓶はしまいなさい」

注意された坂上はしぶしぶといった体で酒瓶をデスクの引き出しに放り込んだ。この坂上という男、飲酒癖以外はきわめて真面目で優秀な人物なのだが、やはり職場での深酒は勘弁してほしいものである。酒に弱い熊谷さんなどアルコールの匂いだけでフラフラになるというのに。

「…今日の実調はどこ行けばいいんです?」

「戸山公園です。バカ学生達が花見にきて騒いでると思いますが燃やしたりしないでください。あと間違っても一緒になって飲まないように」

「その手があったか」とでも言いたげな表情を一瞬だけ浮かべた坂上だったが、既に意識を実調モードに切り替えているらしく鋭い目つきをして部屋から出て行った。いつの間にか引き出しから取り出した酒瓶を持って。

「…今回の調査対象についてまだ話してないんですがね…」

私は苦笑して、書類を自分のデスクへと放り投げた。

戸山公園というのは箱根山と呼ばれる小高い丘を中心とした都立公園である。かつては徳川家の山荘があったり陸軍の演習場があったりした地であるため、幽霊だったり怪物だったりといったモノの噂話の絶えない場所でもある。その箱根山を登る藪を、坂上は千鳥足でかき分けて行く。

「…くせえな。臭うってことは幽霊の類じゃねえな」

酔っぱらっているように見えても、坂上の五感は既に実戦モードに切り替わっている。そして藪の先にいる二足歩行の不気味なモノを発見するのに、彼の五感は1秒も要することはなかった。二本足で歩くそれは、人間でいう上半身の部分がそっくりそのまま男性器のような姿になっていた。かつて人気を博した特撮ヒーロー『ペニスーツマン』に似ていなくもないが、この怪物の放つ男性の下劣な性欲だけを具現化したような鬱屈とした瘴気はペニスーツマンとは大きく異なっていた。

「やれやれ…春になると女子学生の黄色い声に釣られてこういうのが湧くんだよな」

坂上は独り言をつぶやくと口に酒を含み、自身の真上に向けて酒しぶきを上げた。次の瞬間彼の周りを青紫色の炎が包み―異形の装甲を身にまとった戦鬼(オニ)が姿を現した。戦鬼というのは古くから物の怪の類から市民を守るために戦ってきた戦士であり、邪を清める能力の持ち主でもある。

「よし、サクッと片付けるぜ」

盃鬼―サカヅキ。これが坂上逆子の変化する戦鬼の名である。坂上あらため盃鬼は勢いよく眼前の怪物に踊りかかる。

怪物は頭頂部から白濁汁を射出して対抗しようとする。盃鬼が回避したその白濁汁を浴びた鳩が、飛びながら卵をボトボトと生み落としていく。

「なるほど、相手を孕ませる汁か。道理で熊谷さん達が呼ばれねえワケだ」

次々と飛来する汚らしい白濁汁を軽快な身のこなしで躱しながら、盃鬼は法螺貝のような形状の音撃管―戦鬼の武器である清めの道具を取り出した。盃鬼がそれを吹くと、法螺貝の口の部分から酒しぶきが舞い上がる。そして霧状になった酒が怪物にまとわり付き、青紫の炎を放つ。思いがけず炎上した怪物は自らの身体に白濁汁を噴き付けて鎮火を試みるが、次第に炎の勢いに圧倒されていく。

「…ナンデダ…オレハ…ナナツノ…コントンノ…」大方この怪物の前世の記憶だろうか。オタクに飽きてきた頭の弱いサブカル女子学生を釣るための厨二設定全開なセリフをつぶやきながら、怪物は炎の中に崩れる。その様子を、いつの間にか変身を解除した盃鬼もとい坂上は酒をラッパ飲みしながら眺めていた。

『調査報告書 担当:坂上

今回の怪物は大学時代にサブカル女子学生を食っていたヤリ○ン男の妄執が具現化したものと思われる。攻撃力には特筆すべきものがあり、女性職員に交戦させるのは極めて危険である。なお防御力はせいぜい一般の人間に毛の生えたレベルに過ぎない。

追記:今回の任務で使用した日本酒の代金8,000円を経費として申請させてください』

「…ご苦労様でした。あ、お酒代は経費では落ちませんよ」

報告書に決済の印鑑を押しながら、私は坂上に現実を突きつける。坂上は信じられない、とでも言いたげな表情で「いやでも今回の怪物を倒すのに使ったのは事実ですよ?」と食い下がる。

「経費で買えるのはワンカップ○関か大○郎までです。坂上くん越乃○梅の大吟醸で請求してるでしょ?」

「あ、バレました?」

心底残念そうな坂上。

「…それはそうと今日はお疲れさまでした。神楽坂に飲みに行きましょう。私の友人の神楽坂くんオススメの居酒屋がありますので」

私と坂上は職員証を通すと、廊下で立ち話に興じる熊谷さんと宮前さんに挨拶をして足早に神楽坂へ向かった。

(つづく)