命運の核心

今日の話ですが、私は昼飯を食べながら何とな~くツイッターを眺めていました。ライトノベルで税や経済について語っていた橙乃ままれ氏が脱税で告発された、というのが今日のビッグニュースでした。税について勉強するあまり自分でも脱税をやってみたくなったんですかね?まあ私も大学で経済学を勉強しておきながら預金残高700円しかない人間ですし、得てして経済を勉強している人間は金にルーズなのかもしれません。『紺屋の白袴』ってやつですね。

しかし最も私の目を引いたのはまおゆう脱税事件でも、それに伴う恒例のツイッター大喜利でもありませんでした。後輩のA君の、今世間で賛否両論の『ヘスティアの紐』に関するツイートこそ、今日の私に最も響いたツイートでした。曰く「ただの紐を神の紐と言って売りつけるの、免罪符レベルの中世ファンタジー行為だと思う」とのこと。このツイートは、今まで私が感じていた違和感の、まさに核心をつく一言だったのです。

世界史に興味のなかった方に、免罪符というものについて簡単に説明しておきましょう。今から500年ほど前、キリスト教の頂点にはローマ教会が君臨していました。ローマ教会は神の代弁者であり彼らがルールであり教義であり法律だったのです。しかし権威を独占した教会は堕落していました。贅沢の限りを尽くした彼らは寄付や税収だけでは足りず、多額の借金を抱えていました。そこで教会は「この贖罪状を買えば天国へ行ける」と称して免罪符を売り出した、というわけです。

言うまでもなく、免罪符はただの紙です。しかし当時、西ヨーロッパではキリスト教といえばカトリックしかなく、ローマ教会の言うことは絶対に正しいと信じていた民衆はこぞってこの紙切れを買ったのです。紙の材質や原価、紙から得られる効用なんて全く考慮されません。この構図、何かに似ていると思いませんか?―今のアニメオタクの消費の構図に―

私は今まで、何故アニメオタクが経済学では考えられない、合理性のかけらもない消費行動を繰り返すのか不思議でなりませんでした。しかしA君の言葉によって全ては一繋がりになりました。彼らはローマ教会に従属していた農民だったのです。バカみたいな値段でDVDを買い、ただの紐を有難がって相場の何倍もの値段で買うのは、それが彼らにとっての信仰であり、たくさんお金を注ぎ込んでたくさんグッズを買うことに意義があると信じているのでしょう。そう考えれば、面白くないアニメの信者が売り上げだけを心の拠り所にするのも「浄財が多いほど信仰が篤い」という思想なのだろうと解釈できますし、イベントの度にヒロインを使い捨てる同人ゴロも「免罪符を売っている側」ということになりますね。

歴史上では、こうしたやりたい放題をした教会に対しルターという聖職者が敢然と立ち上がりました。そして教会の腐敗と堕落を痛烈に批判し、「聖書に書かれていることのみが真実」とするプロテスタントが誕生します。そしてヨーロッパ社会そのものを二分する大宗教戦争に発展したのです。

アニメ業界と、オタクという信徒達はどうなるのでしょう?暴利を貪る供給者の欺瞞に対して立ち上がるオタクが出現するのかもしれません。そしてオタク社会を二分する大戦争に…なったら面白いので是非なって欲しいですね。